xyzzy
Windows上でメモ帳でプログラムを書くのはあまりにもつらいということで,xyzzyをインストール。インデントは自分の好みにあわせて…けっこう使いやすいな,これ。
日経BPに 東風フォント問題が解決 しそうだという記事があった。細部の詰めは残っているようだが,おおむねOKということらしい。もっとも,商利用がどうなるかよくわからないことも含めて,完全フリーなものへという動きはそれはそれで続くのだろうけど。ありがとう> 日立プリンティングソリューションズ のみなさん。
同僚が某所で一松信先生にお会いしたらしい。うらやましい。高校生のときに読んだ「教室に電卓を」(アマゾンでは見つけられなかった。もう売ってないのかな…1980年に出た本なのだが)にはホントに目から鱗が落ちる思いがした。
前に買ったvol.2が気にいったので「Eclipseパーフェクトマニュアル vol.1」(技術評論社,
)と「リレーショナルデータベース入門(新訂版)」(増永良文著,サイエンス社,
)を購入。先日のIRCでERやDFDの話もでたし,いつまでも我流じゃいかんということで。
「Windows管理者に送るLinuxと仲良くなる方法」ということで高橋基信氏の話を聞く。Sambaの話が中心で,職場でやってることのうちいくつかはこれを参考にすると楽になりそうな気がした。3.0系はずいぶん違うんだなぁ。懇親会の席で,職場で購入した「アンドキュメンテッドMicrosoftネットワーク」にサインをしていただいた。
2年くらい前に某研究会で話したネタではあるけど, 前に書いた話 の続き。たとえば生徒がHTMLの文書を手で書くということが必要だろうか。文章を書く上で段落とか見出しとかそういった構造には気をつけてほしい,そのためにそれらをマークアップではっきりと意識するというやり方はアリだと思う。しかしどの要素の中に何が入れられるとかそういった細かい文法を意識してほしいとは思わない(それは文章を書く上で必要なのではなく,HTMLを書くために必要なことだ)。そういう意味ではたとえば ハイパー日記システム(HNS) みたいなものの方がいいのではないかとも思う。もっともHNSだとほとんど直接タグを書くのに近いことができてしまうので,もっとユーザの自由を奪うように作りこんだものでないといけないとは思うが。
ふと スパイ日記 をいろいろ読んでみる。「事故はある日突然に」で保険会社とのトラブルを扱っているが,私はこういうのはダメ。不戦敗ほぼ確実。自分の記憶をまったく信用できないので,下手すると向こうの言いなりになってしまう。この「自分の記憶が信用できない」というのは謙遜でも卑下でもなくて,自分流に解釈しないと何も覚えられないところが私にはある。これは能力でもあるような気もするのでそれはそれでいいんだけど。
PANTAの1987年のCD「クリスタルナハト」の解説(管岳彦氏)に「人間臭さってこういうことなのかもしれないな」という一文がある。「人間的」という言葉はよくプラスの意味(「機械的」に対立するものとして)で使われるし,凶悪犯罪を犯した人に対して「人間としての心がない」というような表現が使われることがある。しかし実際にはその犯罪に向かってしまった弱さや狡さが人間としての証拠でもあるわけで,そういった意味でアウシュビッツでの虐殺行為などが「人間臭さを放っている」と彼はいうのだ。これが私の考え方にかなり近い気がする。性善説とも性悪説とも言わないけど,存在は肯定する。
びいさんが 日記 の9/22分に,検索エンジンを助けたいのならMETA要素にキーワードを書いておくことでも有効であるのに現実にはそれが機能していない状況について書いている。
機械に読ませることを意識している人は他人に読ませることを考慮している可能性が高い というくだりにはまったく同感。たとえば高校の「情報」という教科はそういうことを念頭においてほしいものだ。