不定期戯言2

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2007/02/24(Sat)

Thinking Tools

関西大学の 黒上先生 が,シンキングツールをどのように授業に取り入れるかを考えるワークショップを行なうというので,早退して高槻市まで。名古屋〜京都って新幹線だと半時間程度なのね。

セミナーは黒上先生の挨拶のあと,大学院生の方が中心になって進んでいった。参加者は30人くらいかな。同じテーブルの人どうしで発表するスタイルなのだが,わりとみなさん積極的でいい感じ。関西弁でなごやかに話が進み,その中に刺激もある。今までKJ法やマインドマップは自分でも使ってきていたけど,そこまで大仰なものじゃなくても書いてみるとけっこう役に立つものなのだということを実感した。どこかでこういうのを使って,直線的なノートから生徒を解放させたいと思うのだが…。

そのとき紹介された本「The Big Book of Reproducible Graphic Organizers」(Jennifer Jacobson, Dottie Raymer著,Scholastic Prof Book Div,

)はさっそくアマゾンで注文した。

帰り道,商店街の手前に 一発屋 が。せっかくなので,ちょっと早い夕食に地獄ラーメンの一丁目をいただいた。このくらいだと全然辛くないのね。二丁目で体脂肪を減らしてみてもよかったかも。うん,おいしい。壁に にしにし の写真が貼ってあるので,親父さんと少し話した。

一丁目

2007/02/23(Fri)

教科「情報」の向かう方向

必修教科「情報」の内容は今後どうなるべきかということについて, MTさん の「情報AとCを中心に必修科目を再構成し,B(あるいはその延長)を選択科目とする」案に賛同する意見をいくつか目にした( aromatic Kamさん とか)が,私の考えは少し違う。

まず,MTさんがまとめた情報教育の流れ

情報教育観の流れを考えて見るとプログラミング教育を主体とした第一世代の情報教育観、アプリケーションの使い方を主体とした第二世代の情報教育観、単なるツールの使い方を教えるのではなく、情報そのもの、情報の処理の仕方、情報の収集や発信の方法、問題の発見計画と解決方法の検討、情報モラルの育成などを主にした第三世代の情報教育観と流れてきたわけで、この流れは必然的だったと思うわけです。

については異論なし。情報の授業で何をやっているかという話でアプリケーションの名前だけが出てくるのを聞くと,いつまで「第二世代」にとどまるつもりなのかともどかしく思う。多くの大人が「第二世代」しか知らないために,教科「情報」はそういうものだと矮小化されてしまっている(それゆえに立場が弱い)ことについても同様だ。だから全体的な流れが「第三世代」に向かうことについては異をとなえるものではない。

しかし,第一世代あるいはそれ以前の電子機器としてのコンピュータのイメージを持たないまま,それを使っていくことには疑問を感じる。コンピュータやネットワークが魔法なんかではなく,現実的な技術の上にあることを実感することは,能動的な利用者になるためには必須ではないかと思うのだ。たしかに「プログラミングが使えるようになる」レベルを全員に求めることはかなり無理があると思うが,そんなことまで私は望んでいない。プログラミングなんかできなくても,十分に情報機器の恩恵を受けることはできる。しかし「プログラミングを体験」することはそんなに重荷だろうか。ほんの数行のプログラムでいい,少し数値や文字列を書き換えて遊んでみる程度でもいい,自分が書いた通りに動作するという体験を持つだけで,目の前の機械との主従関係は違ってくるのではないだろうか。

そういう意味では,現在の情報Bで扱われているのが「アルゴリズム」であって「プログラミング」でないのは疑問だ。逆にすべきじゃないのか?むしろアルゴリズムは数学で扱った方がいいと思うし,ついでにいえば文章の構造化も国語科でもっとうまくやってほしい。数学や国語がいつまでも紙の上だけをフィールドにしている怠慢にも目を向けてもらいたい(誰が?)。

学年末試験の問題作りが進まないので,つらつらと考えを垂れ流してみた。

2007/02/22(Thu)

gnugoがどっかいった

qgoを使ってgnugoと対局していたのだけど,いきなり通信が切れたのか,進まなくなってしまった。そこそこ優勢だと思ったのにー。のにー。\ ここで止まった。

2007/02/20(Tue)

日本語はなぜ美しいのか

「早期英語教育は危険!!」と書かれたオビに目をひかれて「日本語はなぜ美しいのか」(黒川伊保子著,集英社,

)を読んでいる。なるほど,この人が「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」の著者だったのだな。語感というか,音のイメージをすごく大事にしている。そのあたりの感性をオープンにして読まないと,おもしろさが半減してしまう。

面白いのはこないだ読んだ 「14歳の子を持つ親たちへ」 も別のアプローチで,母語の形成がうまくなされないことの危機について言及していたことだ。

2007/02/19(Mon)

子どもたちのインターネット事件(KIDS版)

7月に書籍として発行された 「子どもたちのインターネット事件」 から,事例を12個にしぼって小学生高学年向けに書き直した KIDS版 がネットで公開されたとのこと。私が担当した事例は一つ。自分なりにはかなり気を遣って子ども向けにしたつもり。

2007/02/18(Sun)

14歳の子を持つ親たちへ

その待ち時間とかを利用して「14歳の子を持つ親たちへ」(内田樹・名越康文著,新潮社,

)を読んでいた。最近読んでいたいろんな本とつながるのが不思議…って,選んでるのが同じ人間だからしょうがないか。フロイトが「トラウマというものは実在しないのだけど,そういう話を作っておくことは治療法としては有効だから,上手に嘘をつくといい」と言ってたのは知らなかったとか,「somethingについてeverythingを知っていると同時に,everythingについてsomethingを知っているということが教養である」という定義は面白い(知らないことに出会ったときに推測を巡らす楽しさを知らないのは不幸だと思う)とか,「システムの成り立ちを知るには,それが破綻したところをちらっと見ないとダメだ」というのはすごく心あたりがあるとか,いろいろ面白かった部分はあるのだが,そればかりを書くと本の引き写しになってしまって面白くないのでこの辺にしておく。

と言いつつ,もう一つ頭に残ったことを自分の考えも交えて整理してみる: 言語による表現には訓練が必要だ。だから情緒や身体のメッセージを表現しようとしても,言語能力が追い付いてこないことはよくある。そんな状態で無理に言葉を要求されたら,どこかからストックフレーズを拾ってくるしかない。しかしそれに頼ってばかりいると,「表現できないものは最初からなかったことにする」というフィルタリングが身についてしまう。そんな風にして感度が鈍ってしまうことを是とすることに恐怖を感じる。解ける問題だけを選んで解くことにどれだけの意味があるのか。

授業改革フェスティバル

2007/02/17(Sat)

「自分」と「会社」の関係は?

東大の中原先生の ブログ

「自分」と「会社」の関係を「○」などの図形を使って、描いてみるとどうなりますか? というエクササイズが紹介されていたのでやってみた。えーと,距離を置きすぎてますかね,私。どちらかがどちらかに属するという感覚はないんです。たぶん同じことを,自分と社会,自分と国との間にも感じてるような気がします。\ 私と職場の関係

システム手帳の極意

名古屋駅まで出たついでに東急ハンズで文具を物色。普段使ってる情報カードは8mm罫のものなのだが,6mmのものを試してみようかと思って購入。システム手帳の売り場を覗くと…ミニ5穴関係の品揃えの碓さにいつもがっかりさせられる。13mm径のリング使ってるやつで胸ポケットに入るやつがあれば高くても買うんだが…。

「システム手帳の極意」(館神龍彦著,技術評論社,

2007/02/16(Fri)

ISBN-13

上に書いたISBNもそうなのだけど,年があけて13桁のISBN番号の本がいくつか出てきた。この日記のスクリプトではISBNをamazonへのリンクにしているんだけど,チェックディジットを計算しなおさないとだめっぽい感じ。これは時間があるときにやり直そう…。(というか,ちゃんとamazonのサービスを使うべきだという気もする)