少しは…
5月よりは少しはマシなのである。\

いろいろ苦労はしたものの, Vistaを入れ,Linuxを入れ,カーネルを何度も作りなおしてようやく使える環境にした。 モデムをDisabledにするとサウンドまで使えなくなるというBIOSのバグ(?)には悩まされたが。 しかしカーネルのビルドが20分くらいで終わるというのはありがたいね。 gnugoもめちゃくちゃ早いし。 もう前のマシンには戻れない…。
s30はもう…というわけで,昨日届いたX60をセットアップ。 Vistaのインストールに案外手間取ってしまったが… なんとかLinuxでも音が出るところまではこぎつけたのでよしとしよう。
tss氏に影響されて買った本は,まだ読めてないものが多い。 「現代社会の理論」(見田宗介著,岩波書店,
)をかなりゆっくり読んでる(そうしないとわからなくなる)が, どれだけ時間がかかってしまうやら。
で,それとか積ん読の山は置いといて, 手近な「対話のない社会」(中島義道著,PHP研究所,
) を読み終えた。 自分が普段から感じる窮屈さというのはつまりこういうことなのだなと思った。 それはたぶん
I am OK.You are OK.Both are OK.の最後をWe are OK.にしてしまってることについてskyさんが 「それだとOKなのはあくまでもWeという一人称じゃん, 『他』や『異』を受容せずに他人を尊重できるわけがない」というようなことを言ってたのと 通じているのだろう。 Bothならそこに対立や対話が残るからいい(新しい解決を生み出す可能性がある)のだけど, Weになってしまうと(おそらくこの国では)対話を圧殺する空気に支配されて何も言えなくなる。 その停滞した空気がたまらなくいやだ。 自分が死ぬまで(あるいは退職するまで)もたせられればいいという立場の人なら それも一つの選択だが, 自分の後の世代を考える仕事がそれでは話にならない。
昨日は深夜バスで東京についてからフォーラムまでずいぶん時間があったので, 通りがかったコンビニで「裁判官の爆笑お言葉集」(長嶺超輝著,幻冬舎,
)を購入して読んでいた。タイトルに「爆笑」とあるので実は敬遠していたのだが, 読んでみると取り上げられている言葉の多くは考えさせられるものや,じんとくるものだった。 裁判官も,我々と同じ社会に生きている人間なのだな,と感じさせられた。
秋葉原を出て,湯島へ。 まずは湯島聖堂に。 静かな雰囲気を楽しませていただく。 続いて 神田明神 。なぜだかわからないけど和服の女性が非常に多い。 立看板を見ると,どうやら私は厄年らしい…だからといって何をするわけでもないのだが… とりあえずお賽銭を入れて手を合わせておく。 最後に 湯島天満宮 で,大学受験を控えている娘のためにお守りとハチマキを入手。
ところで,湯島天満宮の近くにあるホテルには「REST」の文字が消されているものが いくつかあったのだが,どういう理由なのだろう。 いや,理由を知っても利用するわけではないからどうでもいいのだが。
秋葉原に戻って,お茶を飲んで休んでいる間に大雨。 持ってきていた折り畳み傘は壊れてしまった。 移動に苦労しつつ,時間調整をかねてとらのあなへ。 というのも, DEL にゅたん New’s Network の個人誌Vol.2(Vol.1.1は品切れ)を入手したかったからだ。 んでもって,念願の サンボ へ…この雨なのに行列できてるやん。 少し待ってから,大盛りと味噌汁を注文。 確かに量は多いけどいたずらに多いということもなく,おいしくいただいた。
古本屋で「空想科学読本」や「チーズはどこにいった」を買ったり, メイドさんのいない喫茶店でまったりしたり, おちついたところで新幹線で名古屋に戻る。 車中では 万世 の ヒレカツサンド とビールで撃沈。
というわけで東大へ。 なにしろ東大に来るのは初めてなもので, 赤門 とか 安田講堂 を写真にとったり, 兼宗先生がキャンパスで遭遇した ドリトルの神様 をお連れしたり 皇太子一家が訪れた りしたという 三四郎池 でまったりしたり。 昼食は VX 氏と一緒に安田講堂地下の食堂で 赤門ラーメン(大盛) をいただいてみたり。
で,肝心のフォーラムだが,高校教員の参加が予想外に少ない(10人くらい?)のが残念。 入試の強化は「情報」の地位向上につながると思うんだがなあ。 センター試験にせよ個別試験にせよ,入試には政治的な判断がつきまとう。 それが日程などの制約を受けて押されていくわけで…このまま立場弱いままだと 教科としての存在さえどうにかなってしまいそうだ。 天良氏からは,全国高等学校長協会が出した 要望書 がその筋では影響を及ぼしそうだという悲観的な話を聞かされたし… 私自身はこの要望書は的外れであるし卑怯だとも 思っている のだが,お偉がたはそうは思っていないらしい。 あんまりにもがっくりきて, 帰りに寄った聖橋でなんだか吸い込まれそうになっちまったよ,まったく。
それはともかくとして,講演はまじめに拝聴。 韓国もけっこう同じことで悩んでるというのは意外だった。 アプリケーション操作だけでなく,原理についても勉強させたい, しかし教師がそれに対応しきれないなんて, どっちの国の話をしてるのかわからないじゃないか。 それにしても韓国のICT教育運営指針は見事なものだ。 ゲーム中毒のことが取り上げられているなど, 時代に追随しようとする意思がはっきりでている。 情報教育課程の内容も,中学段階である程度のプログラミングや アルゴリズムを習得させてしまうなど,十分に高度なものを目指しているように思われる。 一方で,このカリキュラムでは現職の教師がついていけないとか, 情報系科目の扱いが縮小されそうだとか, 日本と同じ問題点も抱えている。
綿貫氏の学校では情報の専門科目を全部やっているという話を聞いて驚いた。 入試はともかく,この専門科目のことが気になるなあ。 建前としては私の免許でも専門科目を教えられなくてはいけないのだけど, 私の知識や技能は偏ってるから。\ 全然話ができなかったので,とりあえず名刺を交換させていただいた。 「わた」つながりということでよろしく。
入試ということについては,高校からは対応に困るだのいろいろ文句がでるだろうけど, 大学側にはそれをあえてつっきって「こういう能力が欲しい」をアピールしてほしいと思う。 もちろんそれがいい状況に向かうためには周辺環境の建てなおしが必要で… 具体的な内容が書かれていない学習指導要領や, ぬるい研修で教員免許をばらまいたことについてさっさと反省して 次の段階に向かってほしいものだと思う。 パネルディスカッションでも,
「社会の要請」についての共通認識を作ることは,本当は可能なのではないか という発言があった。 前述の校長会のあれもそうだけど, 将来の社会が求めているもの, 子供たちに必要なものを考えようとしない状況にはもううんざりだ。