不定期戯言2

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検索条件:2008年5月24日 

2008/05/24(Sat)

mltermの設定

…とか書きながらmltermの設定をする。というのも油断すると「…」が 半角で表示されてしまい,しかもそれが正しくない文字幅で処理されてしまって気持ち悪いのだ。 刻色館 の説明がわかりやすかった。

たまってきたな

『オタクはすでに死んでいる』(岡田斗司夫著,新潮社,

)の「貴族」という考えはよくわかる…ような気がする。 武士は食わねど…みたいな?

『視点をずらす思考術』(森達也著,講談社,

)は著者が言うほど変わった意見ではないと思う。というか, これを異端だと思うような世間だったらいやだなあ。 確かに私もオウムに対してはマスコミが用意した「嫌悪感」に引っ張られていたところはあるが。

何かの研究会かセミナーで 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三著,光文社,

)から引用した一文が印象的だったので読んでみた。 といってもずいぶん前のことなのでどの一文だったのかはもう思い出せないのだが。 正直いってサッカーにはほとんど興味がないのだが,サッカーだけの話にしておくのは もったいない。 この本でいう「エリート」は『オタクは〜』でいう「エリート」でなく「貴族」だ。 エリートであるためには「なんとなく」に流されて生きていてはいけない。 そのために必要なこと−精神性だけでなく, アウトプットを行うことの重要さとか−が語られている。 サッカーに限らず教育全般で大事なことだ。 文中に元フランス代表監督のロジェ・ルメール氏の

学ぶことをやめたら,教えることをやめなければならない という台詞を引いているが,これもこの職業の者としては忘れてはいけない言葉だ。

日本で生徒を見ていると, カシコイヒトが正しいと決めた解答を答えなくてはいけないという縛りに とらわれているということを強く感じる。 間違ってるかもしれないと思うと口を閉ざしてしまう。 自分はどう考えたのか,それを引き出したいと思うのだけどなかなか難しい。 そこで他人と違った意見をもつことを『視点を〜』では「KY」と呼んでいるのだと思うが, それがあるから他人と話すのがおもしろいというのに。 それは「エリート」であることとは関係ない。

Flex 3 SDK

ようやく『ActionScript 3.0 ゲームプログラミングブック』(布留川英一著, 毎日コミュニケーションズ,

)でActionScriptの勉強を始める。という気になったのは, Flex 3 SDKがオープンソース化されたという を聞いたのがきっかけだったりするのだが。 上記の本はFlex 2 SDKについて書かれているが,きっと私がその違いを 意識するのはずっと先のことだろう。 リファレンスガイド を見ながらサンプルを入力しているところ。

教育情報化コーディネータ試験

試験日に仕事はいってる…orz