不定期戯言2

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2012/05/19(Sat)

16進法

授業で16進法の話をするときいつも思うこと。 16進法では9に続く数字を表す文字としてA,B,C,D,E,Fを用いる。 これらは7セグメントのLEDで表示できるが,次のGは難しい。 ちょうどFまでで16進法で使う文字が間に合っているという偶然がすごいと思う。 7セグメントのLEDを考えた人がそこまで考えていたのだろうか。 まさか英語のアルファベットを今の体系に決めた人が16進法と7セグLEDのことを 予想していたなんてことはないだろう。 このあたりがうまく符合していたから16進法がポピュラーになっているのだろうか, そうでなかったら8進法ばかり使われていたのかも…なんてことを想像する。

あたり・はずれ

某質問掲示板を見ていたら,回答者によって答えが2つに分かれていた。 数学の問題で,あきらかに片方は間違っている。 そこで一人が「答えが分かれていますが,私と○○さんが当たりです」と追記した。 ちょっと待て,「当たり」って何だよ。

生徒はよくテストの答えが合っていたことを「あたった」と表現する。 もちろん当てずっぽうを書いたのがたまたま正解だったということもあるだろうから, その場合に「あたった」は適切な表現だ。 しかし考えて書いた答えに「あたり」「はずれ」はないだろう。「正しい」「誤り」で なくてはいけないはずだ。なのにどうして彼らは「あたり」「はずれ」と言ってしまうのか。 おそらく「○をもらえるのは,先生が予期した答えを推測して言い当てたときである」という ように考えてしまう「体験」があったからではないだろうか。

Facebookで谷川先生の 投稿 を見て,そんなことを思ったのだった。 掛け算の順序もそうだし,習ってないけど知ってる漢字を使わせないという指導もそう, 「何が正しいか」よりも「どう答えるか」が優先する場所が学校だと思ってしまった 子供たちにとって,学校は力をつける場所でなく単に評価をもらう場所に成り下がっている。 そうなるとテストなんてものはただのクイズにすぎない。 その結果, 茂木健一郎がtwitterでよく言ってるように, 入試だってお手々つないでちぃちぃぱっぱのお作法競技になってしまっている。

教えられたことを忠実にアウトプットすることが「勉強」だなんて, 人の能力をどれだけスポイルしてるんだか。