ブラッドベリ逝去
といっても『華氏451度』しか読んだことがない。 で,ふと思った。どうしてあの世界って本がダメなんだったっけ。 どこか頭の中で『1984年』と混乱してるかもしれない。
私には絶対に無理なんだけど, 周囲を見てると記憶にたよって仕事をする人がよくいる。 何年前のどの学年はどういう考えでどういう計画を立ててどういう結果に結びついた…とか。 自分にできないことができていることをうらやましくも思うのだけど, どうして記録に残さないのかとも思う。 文章に書くことによる「気づき」があるというのは KJ法(の文章化)でも小ざね法でも言われることだ。 もちろん年度ごとにまとめの文書は作られるのだが, 結論がどうであったかということばかりで, そこに至る考えの動きといったことには触れられない。 そんな「死んだ」文書に残らないものをどうして残さないのかなあ。
冒頭にあげた2作品は一度読み返した方がよさそうな気がしてる。 肝心な「生きた」記録が残らないことについて考える助けになるかもしれない。