不定期戯言2

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2013/02/15(Fri)

文章の下書き

数学の答案を作る際に下書きが大事だという話は何度か書いた( これ とか これ )。 だったら文章の下書きはどうだろう。 文章の下書きを文章で書いても意味がないんじゃないかと最近は思っている。

きれいな文字で書き直す(あるいはインクで手書きする)という意味での「清書」のために, そのまま書き写せばいい状態の「下書き」を書くというプロセスはわからないではない。 文字をきれいにするという作業の最中に,文章を直すという雑念を入れると, 悲しい結果になることがよくあるということは私も何度か体験した。 しかしアウトプットにPCを使うならそんな「下書き」の必要はない。 文章化する前の下書きが必要だ。

twitterで 「編集にネームを直せと言われたら?」 というまとめが紹介されていた。 編集の人がネームを読んで「ピンとこない」というのは, そのための仕込み・仕掛けに失敗してるということなのだから, 「ピンとこない」部分だけを直してもうまくいかないことが多いのだという。 これはマンガの話なんだけど,文章でも同じことだと思う (プログラミングでも,エラーが出てる行に間違いがあると決めつけちゃダメだしね)。

そんなことを考えながら『論理が伝わる世界標準の「書く技術」』(倉島保美著, 講談社ブルーバックス)を読んでいる。