不定期戯言2

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2016/06/09(Thu)

メモリがたくさんある環境

職場用のアプリを開発しているが, 使用メモリが30M程度で収まっている。 今のPCのスペックからすると, そんなにメモリをケチケチしなくていいんじゃないかと思って, ある処理でちょっと贅沢なメモリの使い方をしてみたら,使用メモリが100Mを超えた (実は印刷イメージの生成に随分使われているのだが)。 ということは, 普段は知らず知らずのうちにメモリを使わない方法を選択しているということなのだろう。

64KBの壁とかが常に気になっていた。 きっとその頃の考え方がずっと染み付いているのだろう。 しかしこうやってふんだんにメモリを使ってみると,これは癖になる…。 メモリをたくさん使ってもいいやと思って処理を書いていると, その時の自分が「工夫」してないことも同時に感じてしまう。 考えなくてもどんどんコードが書けてしまうのだ。

「メモリの少ない環境でUNIX系のツール使うのってどうなの」みたいなことを言われた。 そのときには便利に使えていたので何のことを言っているのかわからなかったが, それは自分がメモリが少ない環境しか知らないからだった。 メモリがふんだんにある環境を「知って」しまうと発想が変わる。 おそらくこの環境からプログラミングを始めた人は, 私と違う発想でコードを書くのだろう。

でもそれって,メモリだけの話じゃない。 内田樹が「文化は偏在している」みたいなことを 書いていた ことをふと思い出した。