不定期戯言2

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2025/12/28(Sun)

「面白ドリブン」について

そういえば前に面白ドリブンで書いた文章について公開してなかったので,差し支えなさげな範囲で引用しておく。

面白ドリブン

「◯◯ドリブン」という言葉があります。これは◯◯に基づいて,あるいはそれを原動力として行動するということを指します。たとえば「データドリブン」は収集したデータを根拠にして立案された行動であり,「顧客ドリブン」は顧客のニーズをベースにしたマーケティングなどを指します。プログラム開発の世界では「テストドリブン」「コメントドリブン」「AIドリブン」などの言葉がよく使われます(ここでいうテストとはプログラムが正しく動くことを確認するプログラムであり,テストドリブンはテストを通過するようにプログラムを作っていくこと。コメントドリブンやAIドリブンではそのテキストに従うプログラムを作る。なお「イベントドリブン」は少し別の話で,プログラム自体がイベントをきっかけに処理を行うということ)。原稿を書く仕事をしている人の中には「締切ドリブン」や「メールドリブン」で仕事をする人もいるようです。君たちの中にも「定期(実力)テストドリブン」で勉強をしてきた人がいるかもしれません。

先日Xで面白い投稿を見かけました。周辺の投稿を含めて要約すると「IT業界は『面白ドリブン』で学ぶ人が多い。彼らにとって勉強することは苦役でなく快楽なので,しぶしぶ義務的に取り組んでいる人がかなうわけがない」というものです。IT方面はどんどん新しい技術がでてきて,学び続けることが求められますから,好きでないとやってられないよね,ということでもあります。これは筆者もすごく共感することでした。誰に頼まれたわけでもないのにお金や時間をつぎこみ,自腹を切って休日を潰して学会や研究会にも参加するのは,それは単純に楽しいからです(ここは「単純に楽しい」から,ではなく,単純に「楽しいから」と読んでもらいたい)。

そういえば,LinuxというOSを開発したリーナス・トーバルズは自伝『それがぼくには楽しかったから』(原題:Just for Fun)で自身の開発動機について述べており,社会への影響よりも個人的な興味や楽しさが原動力であったことを明かしています。Linuxは世界を大きく変えたソフトウェアの一つですが,彼にとっては「自分が面白いと思うことをやってきただけ」なのであって,社会が変わったのはその副次的な結果に過ぎないということです。

ここまではIT方面の話をしてきましたが,「好きこそものの上手なれ」ということわざがあるように,どの世界でも面白ドリブンで一流になった人は多いのではないでしょうか。スポーツ選手や芸術家,研究者などもそうかもしれません。もちろん面白ドリブンでも苦しいことはあります。筆者もわからない問題に何日・何ヶ月も(時には年単位で)頭を悩ませることがしばしばあります。でもそれも含めて楽しいのです。 もちろん楽しいだけで世界が回っているわけではありません。世界を回すために義務的に取り組む人のおかげで,面白ドリブンで取り組む人がその楽しさを享受できているというのも事実です。それでも生活のどこかに自分なりの楽しさを見つけていけることを願っています。

採点される立場

入試を控えた君たちは言うまでもなく「採点される立場」にあります。これまで多くのテストがあり,模試があり,そのたびに答案を採点されてきました。これは大人になれば変わるものなのでしょうか。もちろんある点では逆に採点する立場にもなるでしょう。しかしそれは一面的な見方でしかありません。たとえば来週は中間テストですが,出題・採点する我々も「授業はうまくできていただろうか」と君たちに採点される緊張感を持っています。

採点されるということは誰かが決めた「正しさ」に依存することでもあります。よく話題になるトンデモ採点(掛け算の順序とか)はその一例でもあります。

先週の主権者教育では胎児の人権について考えました。なぜ考えるのかというと,この問題には「正解」がないからです。ある人はその人なりの「正しさ」を,別の人はそれとは違う「正しさ」を持っています。だからこそ議論が尽きないのです。河島英五は「てんびんばかり」という長い歌の中で「どちらももう一方より重たいくせに/どちらへも傾かないなんておかしいよ」と歌っていますが,まさにその通りなのです。

正解のない問題の正解を他人に示すことには責任が伴います。その責任を背負う覚悟を持つことが,大人であるということです。それは他人を採点するということを意味するものではありません。ましてや自分の採点で他人を攻撃するなんていうのはもってのほかです。むしろ求められるのは真摯な「自己採点」でしょう。

この世界は好都合に未完成

これはサカナクションの「怪獣」という歌の一節です。誰かの決めた唯一の正しさに支配される「完成された世界」なんてまっぴらです。いろいろな正しさがぶつかり合う未完成な世界の中で,自分が責任を持てる正しさを見つけたり作ったりしながら我々は生きていきます。この世界が未完成であることは未来を作っていく君たちにとって好都合です。その原動力の一つとして「面白ドリブン」があってもいいんじゃないかな,と思っています。