話し言葉の日本語
修学旅行の空き時間に読もうと思って本を数冊持っていったけど, 結局読めたのは 平田オリザと井上ひさしの対談『話し言葉の日本語』だけだった (それも飛行機の中でしか読めなかった)。 この二人だから演劇のことが話の中心になる。 私は演劇や文学の良し悪しをわかる力がないので, 彼らの言うことが本当にはわからないのだけど, それでもいくつか思い入ることがあってページの隅をだいぶ折った。 週明けの情報処理学会のイベント企画で話すことへのヒントもいくつかもらえた。
(井上)日本人が不幸なのは,古いものと新しいものがあると,いつも新しいものを 全員で追いかけていく。また,新しいものがダメだと,今度は古いものがいいという。 つまり,どっちかがいつもダメだと判断してしまうことなんです。 じつは,いちばん大事なことは, 古いものと新しいものとのはげしい競争のうえに立った共存なんですね。
というのは私も同感。しかしそれは決して「古い」「新しい」の対比だけではない。 別の回では1999年の日経に掲載された「揺れるニホンゴ」という記事の
乱れた日本語をただす責任は文芸家にある 日本語と日本文学を区別すべし という二つの意見を紹介して,対談している二人は後者に異議を唱えているのだけど, これにしたって「どっちかがダメ」としてしまうことが一番いけないと私は考えている。 伝達のための日本語をもっと訓練すべきだというのが私の主張ではあるのだけど, それだけやっていたのではダメだとも言いたいのだ。 もちろんその程度のことはわかった上で二人は話しているのだろうけど。