ドラッグ&ドロップ
世間ではタミフルいじめがはやってるようだが, 飲まなくても飛び降りる 人はいるようで。
「畑村式『わかる』技術」(畑村洋太郎著,講談社,
)を読み終えた。なんだか前に一度読んだような気もするのだが,畑村氏の別の本とつながってる内容は確かに多いので気にしないことにする。「わかり方」について基本的な方向はそんなに遠くないと思ったが,いくつか特に注意をひかれたことがあった。
記録のとり方については,この本を参考にしてみるのもいいと思った。手帳を白いままにしておくのもつまらないし。
対象を論理的に理解することなく,経験や記憶だけでさばこうとする人がいる。本文中で「経験主義の誤り」といって批判していることであり,私も職場でそういう仕事のやりかたに苛立つことが多い。氏も工場見学をして気がついたことを指摘すると
ところが,管理主義に陥っている会社の場合は,単に第三者がどう評価しているかということばかりが気になるようです。(中略)単なる欠点の指摘と受け止めるにとどまっているのが残念です。
ということがあるというのだが…その体験は私も何度かしている。
以下,愚痴。私は一部の人には「恐い人」と思われてるみたいで,怒らせないようにという感じで指示をあおいでくる人がいるのだが…違うだろ。お互いその仕事で飯を食ってるプロなんだから,それぞれの立場で言うべきことがあるだろ。どうして上司でもない私がそちらの仕事の指示を出さなくちゃいけないんだ?それは自分の側の怠慢だということに早く気づいてくれ。
20日は修了式ということで飲み。数年前に,新入生の芸術選択を第二希望に変更するのは最低限にしてほしいということを会議で発言したことがあって,美術の先生がそれに同意してくださったのだが,彼が停年を迎えるということで少し話をさせていただく。
「文化」が大事にされなさすぎる と彼は嘆く。内田樹の 「下流指向」 に,経済格差以上に文化格差の問題があってそれはひたすら拡大され続ける(なぜなら下の階層にいる者は自分たちと別の世界があることにさえ気がつかないから)というようなことが書いてあったことを思い出したので,その話をしたらうなずいていただけた。
司書の方とマインドマップのことで話す。図書館にマインドマップ関係の本を入れてから,実際に描いてる生徒を何人か見たというし,彼女自身も描いてみたことがあるとのこと。私も一度その生徒から話を聞いてみたいものだ。
で,今日100円ショップで色ボールペンを買ってきて,久しぶりに紙にマインドマップを描いてみた(普段は freemind を使っている)。うん,やっぱり色があった方が楽しい。娘が興味深そうに見ていたので基本的なルールを説明したら,自分も描いてみるという。姉妹でお互いのイメージから描いてみたというのだが,そこそこ広がっていけたようだ。職場に置きっぱなしのマインドマップ関係の本を持ってきて読ませてみようか。
ふとニュースを見たら, 鴨志田穣さんがなくなった らしい。西原さんと復縁したということで,今度は落ち着くのかなと思ってほっとしてたのに。知りもしない人の訃報が,こんなにせつない。
雨の中を銀座へ。文房具フェチのはしくれとして, 伊東屋 に行ってみたいとずっと思っていたのだ。10時半開店ということなのでマックで時間をつぶす。こんなとき,qgoで遊べるのがありがたい。
で,伊東屋へ。システム手帳のフロアで探し回ったのだけど…ミニ5で13mmリングというと, Filofax の札入れ兼用のしかないし,それをはずすと11mmしかなくて現状と変わりない。あきらめて万年筆のフロアでインクを物色…ペリカンの短いインクって製造中止なの?いろんな色があって面白いと思ってたのに…出してくれた色見本を見つつ,ロットリングの緑インクを買ってみる。
(3/12追記)後でFilofaxのサイトで商品ラインナップをチェックしてみたが,もうちょっといろんな種類がありそうな感じで,ひょっとしたらChinoなんかいいのかもしれない…とはいっても,サイズが書いてないのでなんともいえない。やはり実物を確認したいものだ。名古屋で扱ってる店は東急ハンズとロフト,丸善,松坂屋か。もう一度探しにいってみるかな。
昼食を サンボ でとろうと秋葉原に行ってみたが,今日は休みだという貼り紙が。残念な思いをかかえつつ, 肉の万世 で万かつサンドを購入。
そんなわけで「千年,働いてきました」(野村進著,角川書店,
)と「3001年終局への旅」(アーサー・C・クラーク著,早川書房,
)を読み終えた。「千年〜」の方では,西欧的な合理主義じゃない部分がいくつもクローズアップされていた。そういう共同体的なセーフティネットという感覚は今後どんどん失われていくのだろう。この本で言っているのは「老舗だからいい」ではなく,「こんないい老舗がある」だ。いろいろな無理とか短いスパンでは無駄でしかないことを許す地盤があることは幸せだと思うし,それが許されないために先細りになるのはもったいないとも思う。
「3001年」はなんだかあっけないラストだったのだけど,それ以前のところがおもしろかったのでよしとする。
というわけで深夜バスで新宿に着いたのが6時前。例によって時間が余りまくってしまうのが難点だ。国立の駅前から一橋大学までの道がきれいに整備されてることに感心しつつ,ベンチで文庫本を読んで時間をつぶす。
午前の基調講演を聞いて思ったこと。情報処理学会を外から見てる人の中には
同学会はプログラミングを中心にやれと言っている とか プログラミングの体験は数時間だなんて,ずいぶん軟化したじゃないか というような誤解をしている人がいるのだが,プログラミングへの忌避や抵抗感がこういう誤解を拡大しているようにも思える。
午後の情報分科会では,Computer Science UnpluggedとPENの話。私も「こんなことしかできてません。へろへろ」という発表を手短に行なった。発表の後で某大学の先生が話をしてくれたのだが,彼の授業では代入や順次実行だけで90分使っているとのこと。というのも,その先のことがわからなくなる原因を探っていくと,結局そういった基本の弱さに起因するということらしい。なるほど,私は数学の場合よりもっと「わからない人の考えがわかっていない」のだろうと気づかされた。
それにしても,終わってからの質疑で
代入が移動になるような言語を考えることは面白いかもしれない という話が出るあたりはさすがだなと感心した。また, 原理に関する話を高等教育でやって初等中等でオフィスソフトを扱うというのは,本当なら逆じゃないのか という意見にはまったく納得させられた。
懇親会ではUnpluggedの実践を発表された先生方との話が中心になった。私は小さい頃に買ってもらった 「チャイクロ」 という絵本のことを思い出していた。Unpluggedは確かに効果があると思うのだけど,これが特別なことに思えてしまうほど初等中等教育での情報教育の手持ちカードが少ないことは,実はけっこうまずいことでもある。つまり,そのくらいにまだ歴史が浅いということだ。
上で「初等中等教育でオフィスソフトを扱うのは逆だ」ということを書いたが,だったらなぜそういう状況になっているかといえば,情報教育へのアプローチをそれ以外に知らないからではないだろうか。
二次会では情報を必履修から外そうとしている勢力のことなどの深刻な話題も出たし,この業界はミュージシャン崩れも多いけど「鉄」属性の人も相当…「いや,俺は鉄じゃない」とか,そんなのんびりした話もあった。
帰りの電車の中でケータイで検索したら,三鷹に3000円のカプセルホテルがあるということなので,PEN開発者の中村氏と一緒にそこで泊。マンガ喫茶じゃないところで泊まるのって久しぶりかもしれない。