年末から囲碁棋士の依田紀基九段が ヨダログ というブログを書いている。 ずいぶん前に 読んだ 彼の著書が気に入ったということとつながるのかもしれないが, ブログもいい感じだ。 彼が家庭で「パパ」と呼ばれているというのはいくらか意外ではあるが (張栩家ではどうなのか,ちょっと気になるな), それはそれとして,たとえば 人生は19路盤より広い なんて他の人が言ったら薄っぺらくなりかねない話なのに, なるほどと思わされてしまう。
今日の ローマ字 という記事については,依田九段と原夫人のどちらが正しいとも言えないな。 `Q’の小文字を知らなくても困らずに生きていくことはきっとできる。 でもそれは困っていることに気がついてないのかもしれない。 でも気づかないのなら実は困ってないのかもしれない。 私にも,気づかないからスルーしてることはきっとたくさんあって, それは気づいてる人からすれば「お前は本当はこのことで困ってなくてはいけない」 ということだったりするんだろう。 だからといって,何にでも気づくことを強要されるというのは何か違うとも思う。