マインドマップカフェ
午後はマインドマップカフェにでかけた。 メンバは少ないが,みんな自分でマップを描く人たち。 自己紹介を兼ねた最初のマップが 「はまっていること」というお題だったので,こんなセントラルイメージを描いてみた。

マップの描き方はもうそれぞれにできていたわけだが, それにプラスアルファする要素はいくつか手にできたと思う。 この人数だと,それぞれが気づいたことをつぶやいても腰を折ることにならないし。
午後はマインドマップカフェにでかけた。 メンバは少ないが,みんな自分でマップを描く人たち。 自己紹介を兼ねた最初のマップが 「はまっていること」というお題だったので,こんなセントラルイメージを描いてみた。

マップの描き方はもうそれぞれにできていたわけだが, それにプラスアルファする要素はいくつか手にできたと思う。 この人数だと,それぞれが気づいたことをつぶやいても腰を折ることにならないし。
昨日の不調からは回復。 やはり肉体的なものだったのだな。 しかし今日は今日で,別件の落ち込む話があって,また集中ができない。 もう時間がないのに。 結局はぎりぎりでどうにか形を作ることになるんだろう。 そのことがまたストレスになるのだろうけど, まあ仕方ないわな。
昨日KJ法に使ったカードを念のためスキャナで取り込んでおいた。 全部で255枚という切りのいい数字だったが, 作業はずいぶん頭に負荷をかけたように思う。 そのせいか今日は鬱の具合がひどい。 エネルギーが尽きているのを感じる。 そんなわけで今日は頭を使わない事務仕事に徹する。
某所で,
周囲の人は「同類項をまとめる,って習っただろ」とかいうのだけど, それができるということと, それをしなくちゃいけないとかした方がいいとかいうことはまた別問題なのだろうと思った。 そういうことは,自力で問題を解くときにならないとありがたみがわからない。 だからそれまでは教師の板書をノートに書き写すとき, 「なぜか知らないけどそうするものなんだなあ」ということを学んでいかなくてはいけない。
職場の健康診断が無事終わって,午後は最近書きためていたカードを使ってKJ法。 会議室の机いっぱいに広げて…図解までいくのに数時間かかった。 片付けなくてはいけないので,デジカメで記録を取っておいた。
カードを並べ始める前に,ずっと前から保存してあったカードもざっくり見た。 そうすると,すっかり忘れてるけど今のテーマに合ったものが何枚も見つかるんだな。 古いやつだと10年くらい遡ったかもしれない。 しかし元ネタがわからないものがずいぶんあったなあ。
『知的生産の技術』の,日記に関する話を読み返していたら, 唐突に岡潔先生のことを思い出した。 といっても面識があるわけではない。 雑誌『大学への数学』に河合良一郎氏が連載していた記事に書かれていた話を思い出したのだ。 岡先生が弟子たちに指示したことの一つに,研究日誌をつけよ, 毎日日課として自分の考えを記したメモを書き綴っていけ,というのがあった。 ここで大事なのは,毎日新しい白紙を用意すること,最初に日付を書き入れることであって, 書くことがなければ「なし」の一言でもいいが, 欠かしたり何日かをまとめてしまったりしてはいけないのだそうだ。
私の今の手帳がこれに近いスタイルで, 「○○は一冊のノートにまとめなさい」シリーズが原型なのだが, おそらくこの記事にも少なからず影響を受けているのだろう。 記事を読んだのは17歳のときで, その頃は岡先生のことも「すごく変わり者の数学者だったんだな」くらいにしか思っていなかったし, 梅棹先生のことも知らなかったのだが, それから30年近く経って,また出くわすとは思っていなかった。
思うところあって,moodleを授業で使ってみたくなったので, そのセットアップで1日つぶれた。2.5になって,2.1からまたずいぶん変わったようだ。 今までグループウェアとして職員で使ってきただけなので, 小テストとかの作り方がまったくわからない。 今週いっぱいは試行錯誤になるかな。
下の娘も二十歳。 そんなわけでお酒も飲むようにはなったが,まだビールは飲んだことがないという。 これも時代の変化なのかな。 そんなわけで,コンビニで缶ビールを買ってきて飲ませてみた。 アサヒのザ・エクストラというのがなんだか目立っていたのでそれにしたのだが, アルコール分が6.5%と少し高めで,味もだいぶ強い感じだったのでちょっと厳しかった様子。 もっと定番のやつにしておけば良かったかな。
実は何年か前に「もやしもん」の焼酎を買ったときに, 下の娘に「大人だけずるい」とか言われたので, じゃあお前が二十歳になってから開けることにしようと言ったことがあった。 約束通り,まだ封は切っていない。 そのうちなんとかしたいな。
親父が生前「ぐでんぐでんに酔って,息子に肩をかつがれて帰るってのを やってみたかった」と言っていた。自分たちが飲める年齢になった頃には糖尿とかで そんな飲める状態ではなくなっていたのだが。 でもまあ今になってみると気持ちはわかるな。
昨日リンクを貼った記事は登録してないと続きが読めないのだった (職場内でそういうツッコミがあった)。 それはともかく,落としどころがどうとかいうことで何を反省したかというと, 双方から妥協を引き出す形でのそれは痛み分けになるわけだけど, その「痛み」に酔ってしまうところがあるという点だ。 こんなにも大きい傷を負ったということで,何かを果たしたような気持ちになってしまう ところが自分にもあったと思う。 でも,それって生産的じゃないよなあ,と。