ゴールデンウィークエンド
某所で 「今年のゴールデンウィークは5日と6日の連休があるぜ,ひゃっほーい」 と言ったら 「それ,ただの週末」 と言い返された。 むう。
何かを主要というってことは, 他のものが主要でないということ。 正しく「受験教科」って言えばいいのに,と思う。 そうすればずっと「主要」と言ってきた理由が「受験」のためだということがよくわかるし, 受験に関係ないものは主要でない, つまり学校生活で大事なことは受験なのだという「思想」がはっきりする。
11日締切の原稿がある。さすがにそろそろ仕上げないとまずい。 そんなわけでまず,スタイルファイルの作成に取り掛かった。
だってタイトルやアブストラクトの文字サイズが何ポイントとか決まってるし,
「行数は50行」なんて書いてあるし。
そんなわけで「美文書作成入門」を片手に…いろいろ真面目に実装しようかと思ったけど,
そこまでやるよりさっさと中身書けよという気がするので
jsarticle.styからコピペして数値いじって…ってことをやってた。
maketitleの
@authorをいじらなくちゃいかん気はするんだけど,それは後にまわそう。
4/28はそのあと,大学の同窓会。 軽く集まろうよって話がFacebookであって,9人が集まった。 まあ卒業して20年ちょっとたつわけで,変わってたり変わってなかったり。 起案者のKちゃんがスマートフォンを遠ざけて見てる様子に 「ああ,そんな風になっちゃったのね」と言ったことから, 話が病気報告の流れになってしまったことは少し反省している。 でも,その病気や健康のことは別にしても, 話題が思い出話ばかりでなく,今やこれからのことが中心だったのが面白かった。 次の日が仕事じゃなかったらもうちょっとゆっくり話していられたのだけど。
3月くらいから,勉強会とかのことを書こう書こうと思っていて書けていないので, 思い出してさかのぼってみる。
4/28は マインドマッパーのためのイラスト講座 だった。講師は やまもとさをん さん。ずっと前にも彼女の 講座 に 参加したこと があって,描くことへのコンプレックスがずいぶん解消されたのを覚えている。 実際その後は板書にも少し変化があらわれたし。
今回はさらに自分が自由になった気がした。前回は描くことへのハードルをずいぶん下げてくれたけど, 頭の中で考えてるだけじゃなくて実際に線を置いてみた方がわかるってことが今回の大きい収穫かな。 やってみるとうまい効果が出たり出なかったりするけど, その分たくさんいろいろ描いてみればいいじゃん, という気持ちになれた。 よし,5/19の LT祭り にはこの話を取り混ぜてみよう。
一週間くらい前, 本屋に平積みにされてやたらプッシュされていたので買ってきて, その日のうちに読みきってしまった(日付は変わってたけど)。 『陽だまりの彼女』(越谷オサム著)。 表紙に惹かれたのかもしれない。 この話はネタバレしてしまうとぶち壊しなのでその点について触れずに書くけど, まあシンプルな話ではある(帯はミステリ要素がどうとか書いてたけど, その煽りはむしろ興ざめ)。 そういう話だったのか,と思い返してみると, いくつもいくつも伏線があった。 たまにしか小説を読まない私にしてみれば,十分楽しめた。 かわいらしいお話だと思う。
でもかみさんにはあまり好評でなかった。 本読みな人にとっては,シンプルにすぎるのかもしれないなあ。
黒上晴夫先生(関西大学)の サイト で公開されているシンキングツールの解説本が話題になっている。 「考えることと制約条件」の項に書かれている内容は, こういったツールを常用する者の実感だ。 「自由に考える」というのはお題目としてはとても美しいが, 実はとても難しいことなのだから。 何もない平原に放り出されて途方にくれて時間を無駄にするよりも, 用意されたコースという「制約」に沿って動くことで「考え癖」をつけるのがいい。
氏のサイトを久しぶりにみて,NHKの番組 「テストの花道」 の監修をされているということを知った。 よくシンキングツールが取り上げられていて, スタッフがよく勉強しているのだろうなあと思っていたのだが, バックに黒上先生がいるのなら至極当然のことだ。
29,30日は総体の名北予選…といっても,私は技術的な指導ができるわけでもないので, 試合中ただひたすら念を送るだけなのだが…疲れた。 今日一日それでへたってた気がする。 さて,明日が終わったら3,4日は新人戦だ。 その後は休みなのでなんとかふんばろう。
ようやく『動員の革命』(津田大介著)を読み終えた。 この本を読むにあたって考えていたのは, ソーシャルメディアの起こしたムーブメントが 2ちゃんねるの起こしたそれとどう違うのかということだった。 なるほど,ネットで何があっても,結局それだけではムーブメントではないということか。 「社会」にもの申すには,そのためのプロトコルを守らなくてはいけない。 何かのデモをやった人たちが「報道されない」ことに文句を言っていたことがあったが, デモにはデモのプロトコルがあるということだ。 2ちゃんねるから発生した動きの多くは自分たちの満足に向けられたものでなかっただろうか。 その「ノリ」に「社会」の側が自分からついてくるべきだというのは,確かに無理がある。 ついてくることを望むのなら, ついてこられるように,ついてきていいように手はずをととのえなくてはいけない, それがプロトコルというものだ。
実に久しぶりに小説を買った。ほとんど表紙につられた感じ。 帯はやたらと「感動」を強調するのでちょっと辟易するのだけど, でも冒頭をさらっと見た感じではとっつきやすそうな気がしたので読んでみる。 もう2/5くらい読み終えた。 なんというか,リア充爆発しろってあたり。