下手な字
先日かたづけものをしていたら,中学生の自分がいかにへたくそな字を書いていたか という証拠を発掘してしまった。

脈拍は変動が激しいのでなんともいえないが, 血圧は4月あたりから少し低下しているような気がする。 体重については,5月中旬の飲み会による増加分をようやく相殺できたかな。

スラッシュドット・ジャパンの 「精神障害の労災認定,システムエンジニアや医師などが最多」 というストーリで,
IT系や研究開発など,職位階層が細かくなく管理職の少ない職場ほど, 多様な仕事を任され強いストレスにさらされがち という 指摘 が紹介されていたが… 教職にもすごくあてはまる気がする。
と思ってよく見てみたら「専門的・技術的職業従事者」には教員も含まれるのね。
ということで日本福祉大学名古屋キャンパスへ。 スタッフと講師以外に知ってる人の顔がないような気が…。
「町田高校での教科情報授業実践と今後の展望」 by 小原格氏@東京都立町田高校。\ 必然的に自分の授業を見直す…学年で2時間やれればもっと きちんとしたことができるだろうとは思うのだが, 1時間ずつに分断されてしまっているので期末テストのために教え込む方向にいってしまう …というのも言い訳にしかならないのだろうけど。
「デザインは計算だ」 by エイムデザインスタジオ主宰の大橋ケイタ氏。\ デザインに求められているのは芸術ではないということはたとえば VX氏 のやっていることなどから 言葉の上では 知ってはいたが,それを自分がやるという気にはなれないでいた。 しかし実際に目の前でこういうのを見せられると 中学時代美術で評定2をもらった私も 「勉強したらこれがわかる=勉強しないとこれができなくて悔しい」 という気持ちになってしまう。積ん読が増えてしまいそうで怖い。
「プレゼンテーション10ステップ」 by 影戸誠氏@日本福祉大学。\ 奥村先生のブログにもあった 話 だが, たとえばアニメーションなんてのはどうでもよくて, 大事なのは「内容をどう作るか」と,それに加えて「どう話すか」なのだと。 プレゼンのスライドなんて,今どこの話をしてるかの目印に過ぎないのだし。
高校生にやらせるプレゼンは5分が相場で,それで語れないなら さらに時間を与えてもぐだぐだになるだけ,という話は感覚的に納得できる (私自身はプレゼンの指導はしていないが)。
…とか書きながらmltermの設定をする。というのも油断すると「…」が 半角で表示されてしまい,しかもそれが正しくない文字幅で処理されてしまって気持ち悪いのだ。 刻色館 の説明がわかりやすかった。
『オタクはすでに死んでいる』(岡田斗司夫著,新潮社,
)の「貴族」という考えはよくわかる…ような気がする。 武士は食わねど…みたいな?
『視点をずらす思考術』(森達也著,講談社,
)は著者が言うほど変わった意見ではないと思う。というか, これを異端だと思うような世間だったらいやだなあ。 確かに私もオウムに対してはマスコミが用意した「嫌悪感」に引っ張られていたところはあるが。
何かの研究会かセミナーで 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三著,光文社,
)から引用した一文が印象的だったので読んでみた。 といってもずいぶん前のことなのでどの一文だったのかはもう思い出せないのだが。 正直いってサッカーにはほとんど興味がないのだが,サッカーだけの話にしておくのは もったいない。 この本でいう「エリート」は『オタクは〜』でいう「エリート」でなく「貴族」だ。 エリートであるためには「なんとなく」に流されて生きていてはいけない。 そのために必要なこと−精神性だけでなく, アウトプットを行うことの重要さとか−が語られている。 サッカーに限らず教育全般で大事なことだ。 文中に元フランス代表監督のロジェ・ルメール氏の
学ぶことをやめたら,教えることをやめなければならない という台詞を引いているが,これもこの職業の者としては忘れてはいけない言葉だ。
日本で生徒を見ていると, カシコイヒトが正しいと決めた解答を答えなくてはいけないという縛りに とらわれているということを強く感じる。 間違ってるかもしれないと思うと口を閉ざしてしまう。 自分はどう考えたのか,それを引き出したいと思うのだけどなかなか難しい。 そこで他人と違った意見をもつことを『視点を〜』では「KY」と呼んでいるのだと思うが, それがあるから他人と話すのがおもしろいというのに。 それは「エリート」であることとは関係ない。