秋だなあ
何も語るまい。

中教審の方で話が進んでいる様子。 数学もまたいろいろ入れ替えがあるようだ… 数学Bに「統計的推測」というタイトルを見かけて嬉しくなったが, このあたりはまた内容を選択できるということなので, 入試に出題されない限りまた放置されるのだろう。
どうせ大学とかでいろいろ調査研究するようになったらやり方を勉強せざるを得ないのだから 高校でやらなくても,という考えもあるのかもしれない。 でも,高校までの勉強は枠組みがきっちり決まっているので, その科目の勉強が純粋にその科目のためのものとして, すべてが「わかるための勉強」として成立する。 しかし大学以降(就職してからも)ではそんな単純な話ではなく, 別の科目のために「使うための勉強」の比率が大きくなるように思う。 統計はその典型的なものだろう。
「わかるための勉強」と「使うための勉強」を比べると, 後者では基本的な考え方や定義などが不正確になりやすいのではないか。 少なくとも私にとってはそうだった。 必要なところの拾い読みで済まそうとしてしまうので…。 そう思うと,統計についてもその基本の基本は高校までに触っておいてほしいのだがなあ。 何が「基本の基本」なのかは意見が分かれるのだろうけど。
職場の目の前のスーパーで鶏の胸肉が48円だったので, 鳥はむ を仕込んでみた。何,うまくいかなくても鶏の塩茹でになるだけだ。
IRCで教えてもらった モスバーガーのきれいな食べ方 を見て,笑い転げたのが私と長女。わりと冷静だったのが妻と次女。 この違いはいったいどこからくるんだろう。
小学校の算数に台形の面積などを,中学校の数学に二次方程式の解の公式などを, それぞれ復活させる案が 出されているらしい 。理科でもこれに似た話が出ているようだし, やっぱりあの内容の削り方には問題があったということなんだろうか。
あれは 「いじめでなく犯罪」 という発言。 このようにきちんと断ずることは重要だと思うが, 普通に「いじめ」と言われていることにも犯罪は少なくない。 被害者が自殺したから云々ということでなく, 行為が犯罪であればそれはもう教育の範疇で収めることではないと思うのだが。
先週職場でそれなりに大きい話をぶちあげたこと, そのためにまたプレッシャーと孤独感が強くなったこと, 他にもいろんなことがあって,また鬱の具合が悪くなった。 週末にダウンして回復するつもりだったのだが, 朝になってみるとどうもダメみたいだ。 普段なら惰性に身をゆだねて出勤までこぎつけるのだけど, 体も気持ちもなかなか動こうとしない。 何度も止まった足をひきずって, かなり遅刻して職場に到着。
こんなときはTodd RundgrenのライブCDをボリュームを上げて聴く。 どうやら一番合ってるのがこれらしい。 少しずつ体に血が戻ってくるように感じる。