公開再開
年末から記録はしていたのだが…そのときから起き抜けの値を記録するように変更した(以前は夕食前)ので,過去のグラフとの比較は禁止ということで一つ。しかし,微増してるなあ。

なお,二つ目のグラフは,高木浩光氏に 捏造 と言われないよう修正したもの(って,もちろんジョークですが)。
安部知子衆議院議員が自分のサイトで,阪神大震災のときに自衛隊の出動が遅かったことを非難したことが話題になっている。当時の首相は安部氏が所属する政党の村山氏だったことが笑い話になっているわけだが。んで,ある人が某議員とネットで対談してたときに
村山氏が即座に命令を出していれば2000人は助かったと言われている と言ったら 「たった2000人でしょう。それに平和の為に自衛隊は無くさないといけないんだから,亡くなった方はしょうがなかった。」 と返されたらしい。ソースが示されないので真偽は不明。
IRCで紹介された 「著作権延長論に物申す」 を読んだ。この文章の著者である 山形浩生氏 は,著作権の保護期間を70年に延長する動きに反対している。前半では松本零士氏の
そばやうどんと一緒にしてもらっては困る。作家の作品は残るが,そばやうどんは私にも作れる という発言に絡めて,そもそも著作物が手厚い保護を受けることに正当な理由があるのかといったことにも言及しているが,これは松本氏の売り言葉に対する買い言葉に過ぎないと思う。それより重要なのは,2003年に映画の著作権の保護期間が延長された直後に書かれた 「著作権の『危機』って何だ」 でも主張しているように,保護期間を長く設定することによって多くの作品が 死蔵 されてしまう危険性だろう。「〜物申す」は
著者の死後50年も残る作品は例外的なもの。それらのためにすべての著作物の保護期間を延長してしまうと,他の多くの著作物の利用に枷をはめることになる。例外的なものは例外的に守ればいい。
というような話でしめくくっている。この考えにはまったく同感だ。ミッキーマウスを保護したければ保護期間をどんどん延長するのでなく,ミッキーマウス保護法を作るなり,希望する著作権者には一定の料金と引き換えに権利を存続させるなりすればいい。知財立国の看板を掲げるつもりなら,過剰な保護でコモンズを減らしてしまうことのデメリットも計算に入れて欲しい。新しく産み出されるものがない先細りの社会には未来がないのだから。
「例外」の人の声がやたらと大きいってことが,議論を平行線にしてるんじゃないのかなあ。
それにしても70年は長すぎるだろう。たしかに作品が作者より長生きすることもあるかもしれないが,それをいうなら発明だって長く残るものはあるし直接的に人の暮らしを守ることだってあるのに,出願からたったの20年しか保護されない(しかも権利を維持するには費用がかかる)こととのバランスはおかしくないのか。
ちょうど今は著作権を授業で扱っているところなのだが,自分をニュートラルな立場において話すのは難しい。
なんとか「Computer Science Unplugged」を読み終えた(図の間違い2箇所見付けた)。7〜9歳以上を対象としたactivityなので,そんなに難しいことをやっているわけではない。でも,こういった「体験」は実際できてないわけで…何かやってみたいなあ。
で,買ったままカバンにいれっぱなしだった「『普通がいい』という病」(泉谷閑示著,講談社,
)を読みはじめる。「本来あったはずの気持ちを無意識レベルまで抑圧して得られる安定は病的なものであり,それを意識に戻してきちんと悩むという不安定の方が健康的」という話とかに救われた気持ちになる。まだ自分に負荷をかけると危ないという自覚があるのでいろいろセーブしているのだけれど,そろそろもう少しだけ解放してもいいんじゃないかと思ってみたり。
今日のNHKスペシャルは「グーグル革命の衝撃」だった。内容はだいたい予想通り。編集して生徒に見せようかな。そうすれば EPIC2014 の意味もわかりやすくなるだろう。(長野弘子さんの 邦訳 )
IRCで EPIC2015 もあるということを教えてもらった(とはいっても2005年9月にはできていたようだが)。こちらには字幕がないのでよくわからないのだが,iPodとかの話が追加され,2015年にπPodがgooglezonの携帯端末(WifiPodという話もあったっけ?)になるみたいな話につながっているみたいな感じ。私はNew York Timesが人的システムによるニュースメディアの最後の砦となってgooglezonと戦い,最後にはオフラインになるというEPIC2014のオチが気に入っていたので,追加部分についての判断は日本語訳が見付かるまで保留。