手術
高1の夏の事故の後から右目の下に異物感があったのだが,最近それが上に移動してきたようで下まぶたから出血することがあるので,摘出手術を受けてきた。最初は腫瘍の類を想像していたらしいのだが,取り出してみるとガラス片だった。その大きさにはお医者さんも驚いていた。…写真撮っておけばよかったな。
高1の夏の事故の後から右目の下に異物感があったのだが,最近それが上に移動してきたようで下まぶたから出血することがあるので,摘出手術を受けてきた。最初は腫瘍の類を想像していたらしいのだが,取り出してみるとガラス片だった。その大きさにはお医者さんも驚いていた。…写真撮っておけばよかったな。
あー,時間足りないっ。ほんとにこの話だけで2,3日欲しいくらいだ。今は詳細を書いてる時間がないので後日追記することにする。深夜バスでの往復も,慣れてきたのかあまり苦にならなかった。
待ち時間の間に少しだけ読み進めたのだが,面白い記述に出会った。
ほどなく彼はこうしたインスタント知識の小板のこぢんまりしたライブラリーを持つようになった。一枚一枚にカレッジの学位ひとつ分に相当する教材がそっくり収まっている。その一枚をブレインボックスにさしこみ,彼に具合のいい速度と濃度に合わせると,光がきらめき,あとは意識がなくなり,その状態が一時間ほどつづく。目覚めたときには,もう心の中に新しい領域が開かれているのだ。といっても,当の知識を探すと,それがあることがわかるだけなのだが…。 CITE アーサー・C・クラーク著『3001年終局への旅』第10章「イカロス賛歌」
31世紀の技術をもってしても,蓄えた知識を組み合わせて新しい発想を生み出すことは自動化されていないというのだ。発想法はやはり人間が頭を使ってやるしかないのだろう。
他にも,狂牛病をネタにしてる記述があってびっくりした。これって1996年の作品なのに。
最近話題の未履修科目問題だが,情報の2単位のうちの1単位(あるいは全部)を理科や数学に回していたというケースも 報道 されるようになってきた。大学で新入生に向けて行なった聞き取り調査では2〜3割の生徒が情報を履修していないと回答したそうだが,残りの7〜8割にもこのようなケースが少なからず含まれているはずだ。学校の中では情報教員は(入試にあまり絡まないという点で)立場が弱く,国社数理英の教員に押し切られて単位を減らされたケースも多いだろう。これを機会に正常になればいいのだが…。 ジョーシン06 でも「必修教科『情報』をどこがまともにやってるの?」という緊急企画が組まれたとのこと。
先日生徒たちの前で話す機会があったので, e-ontap事件 をかいつまんで説明した後,
こういうことはインターネットでは珍しくない。「目の前のものが動いていればOKを出す」というのが仕事としてまかり通っているのが現状だ。
そしてそれは,学生時代の「先生に丸をもらえればいい」の延長にあるものだ。社会人になれば先生が上司や役所に代わるだけのことで,本質的なところは何も変わってはいない。マンションの強度偽装,岐阜県庁の裏金…世を賑わしたそれらの事件も根は同じ,誰かに自分の行動を採点してもらって丸(あるいはハンコ)をもらうことが目的だと勘違いした結果だ。君たちは自分の行動を自分で採点できる大人になってほしい。
というようなことを話した。学校自身が自分のやってることを採点できなくなったら,子供たちは何を見て成長したらいいのか。そう考えると,この一件は学校界にとっていい薬だ。
というわけで 「情報の授業における統計の扱いについて」 という発表をしてきた。(出勤しないと職場サイトの更新ができないので23日になるまでアップロードされませんが)
職場のLibrary Express(図書館だよりみたいなもの)に寄稿した文章。
ある教育実習生が「高校生の頃は板書をノートに取ることが授業中一番大事なことだと思っていたが,教える側になってみるとそれはほんの一部分でしかないことに気づいた」と言っていた。実は本当に大事なことは口伝されているのだが,生徒の多くはそれを記録する方法を持っていない。そのため教えられたことをオウム返しに解答することはできても,新しい問題に対するアウトプット(=情報生産)ができない。
不思議なことだが,学校では情報生産の方法についてはほとんど学ばない。梅棹忠夫氏が著書『知的生産の技術』で「文章の教育は情報工学の観点から行なうべきであり,知的生産技術の教育のためには『情報科』という教科が作られるべきである」というようなことを述べているが,その意味の「情報科」は実現していない。だから自力でその方法を獲得するしかないのだが,自己流を編みだす前に先人たちが用いた方法も試してみてほしい。
たとえば私は常に名刺サイズのカードを携行して,思い付きを書き貯めている。そして文章や資料を作るときには,それらを集めて『知的〜』にある「こざね法」や,大きいものなら『発想法』(川喜田二郎)の「KJ法」を用いて仕上げる。講演のメモはマインドマップ(マンガ『ドラゴン桜』で取り上げられたので知っている人も多いだろう)で取る。これについては『ザ・マインドマップ』(トニー・ブザン,バリー・ブザン)が公式本なのだが,それより『人生に奇跡を起こすノート術』の方が扱いやすいであろう。こういった方法で手を動かすことによって新しいアイディアが導かれるのは,実際にやった者にしか味わえない快感である。
『知的〜』や『発想法』は30年以上前のものなので今となっては古い面もある。最近の良書があれば教えていただきたいし,互いに情報交換もしてほしい。しかし中には眉に唾するべきものもある。たとえば今年文庫化された『「超」発想法』(野口悠紀男)では上記したような方法を否定しているが,それは自分で改竄した「誤ったKJ法」(しかも自分でやったことがない)の問題点を論うというもので,1960年代によく見られた「誤った批判」に陥っている(同書には重要な教示も多いので,全面的に否定するものでもないが)。いくつかの方法を実際にやってみることで,やがて自分の方法を確立することができるだろう。さあ,手を動かしてみよう。
10月29日に,AI財団,東海インターネット協議会,東海スクールネット研究会の共催で インターネット社会を安全に暮らすための講演会」 が行なわれる。私も東海スクールネット研究会のWGの一人なので, Web を更新。ひさしぶりにXOOPS触るとわからんなあ。職場内サーバは Joomla! にしてだいぶ楽になったのだが,今さら変更するのも大変だからこのままいくか。