SSS2006初日
初参加である。小田原で止まる新幹線が少ないことにがくぜんとしつつ,後の新幹線で出たはずの奥村先生に追い付かれたりしつつ,なんとか箱根に到着。来てみたらああ同業者が。セッションはそれぞれに興味持って聞かせていただいた。ナイトセッションは…まだ続いているようだけど,私は いつぞやの失敗 を繰り返したくないので早々に引き上げ。
…とか言って用事を頼まれることがよくある。そんなとき,私はその用事の優先度を最低に設定する。決して仕事だとは考えない。
特に嫌なのは,しばらくしてから
あの件どうなりました?明日には必要なので今からお願いできませんか なんて言われること。締切があるのなら(=仕事であるのなら)先に言ってもらわないと話にならない。空き時間ができたら自分のためにやっておきたいことはいくらでもある(その多くは仕事だ)。それよりも他人の仕事かなんだかわからない用事を優先する理由などどこにもない。
最近ネタ不足が甚だしい「トリビアの泉」を見ていたら,
乾燥した春雨に火をつけると,線香花火のように燃える
というのをやっていた。私も子供の頃やったことがあって,不思議だなあと思っていた。…という話をしたら家人から
なんでそんなことをするんだ と非難された。しくしく。当時,けっこう台所で遊んでたんだよなあ。よく叱られなかったもんだ…いや,叱られてもめげなかっただけか。
「不定期戯言」と銘打っておきながら,8月は毎日書くことにチャレンジしている。しかしなあ…今日みたいに午前中いっぱい普通に仕事して,午後は疲れて昼寝して,その後医者に行って雨に降られて帰ってきたというような平凡な1日だと何もネタがない。本を読む暇がないとネタが増えないなあ。
つっこみへの返事も書きたいのだけど,考えをまとめる余力がない。もうちょっと待ってね>のぐーさん(って,今IRCにいるけど)。
そういえば小学生の頃,日記が毎日の宿題になっていたのだけど,
毎日毎日書くことなんかそんなにないよお と書いたら1日お休みがもらえたということがあったな。
そんなわけで娘のメール環境を移行するわけだが…いつまでもポストペットでもないだろうということで,Sylpheedをインストールさせることにした。起動して設定画面を見た第一声は
なつかしい! だった。というのも,娘が最初に使ったノートPCは私のお下がりで,LinuxやKDEの上でSylpheedやmozillaを使っていたのだ。
娘用のメールアドレスを追加したり,パケット通信の設定をしたり。これで携帯でのネット接続ができるようになったわけだが…そうなると@niftyに金を払いつづける理由がなくなってしまう。ココログはもう要らないし,このページもDIONに移行すればいいし。でもまだ思いきれない…。
昨夜BSから録画したのを鑑賞。私がスタレビを初めて知ったのは,高1の夏に自転車事故で入院したときに友達が持ってきてくれたギター雑誌で,根本さんが気持ちよさそうにギター弾いてる写真が印象に残っていた。彼が歌ってるのを見てるとほんとに気持ちいい。自分も歌いたくなってくる。 半年くらい前 ,ライブが終わった後のシャカシャカチャカチャカ2/3のボーカルの人に
歌わない理由探しをしちゃだめだよ と言われたことを思い出した。
ネットでだらだら検索してみる。根本さんやデーモン閣下の声はミックスボイスというのか…。ふむ,「木蘭の涙」って柿沼さんの作曲だったのか,この歌好きなんだ。
残り少ない休日ということでだらだらしてる間に,高校野球の決勝戦は延長15回引き分けでの再試合が決まったようだ。OCNからKDDIへの乗り換えということでメールアドレスの申請とかNiftyを解約するかどうかとかいろいろやることや考えることはあるのだけど,実際に動くだけの覇気がない。
まあこうやってだらだらしてられる休日は残り少ないのでよしとする。
仕事中に待ち時間がけっこうあったので少し読み進めてみた。印象に残った考えをいくつか書き並べてみる。
論理力があるというのは,手慣れた道具からその場に合った道具への持ち替えができること。 あるものの存在を認めることとそれを是とすることは違うのに,それが混同されがち。 エライ人は,物事を単純な原則でとらえようとしすぎる。 現実が複雑であれば,話も複雑にするのが道理。 結論を出すことと,正解を出すことは同じではない。
犯罪の存在を認めることは,それを是とするということではない。誰も犯罪は望まないけどそれはゼロではなく,そういった「不愉快」との共存を認めざるをえない…みたいな話とか。
日本には低リスクを許さない,すなわちリスクはゼロでなくてはいけないという風潮が強くある。リスク対策にはリスクの存在を認めることが必要なのに,「リスクの存在を認める」=「リスクを許容する」=「リスク発生を仕方ないとあきらめている」と読みかえてヒステリックに騒ぎ,結果として対策への道を封じていることさえあるように思う。教育分野は特にその傾向が強いような気もする。
関係ない話だが,著者名の「樹」を「たつる」と読むとは思わなかったし,「たつる」で変換できるとも思っていなかった。失礼しました(実は本屋で検索できなくて困ったのだった。なぜか「こどもは…」で書名検索して出てこなかったし,「うちだ」で著者名検索すると大量に出てくるし)。