文化庁もCCを支援
文化庁が著作物の公開利用ルールとして検討してきたCLIPシステムを諦めて, CCライセンスを支援することにしたという こと らしい。授業では自由利用マークとクリエイティブ・コモンズを扱ってきたが, 正直いって自由利用マークが実際に使われているのを見たことはほとんどない (皆無でもないが,2回くらいか)。 私自身も過去の発表資料なんかはCCで公開してるし。
回り道であったということかもしれないが, 独自方式にしがみつかなかったことは評価されていいと思う。
というニュースが届いた。 仮釈放という制度がよくわかってないのだけど, 記者会見で「7ヶ月は保護観察」と言ってるからそういうことなのかな (やっぱりあんまりわかっていない)。 私は彼については全然知識がないというか,正直よくわからない。 ただ,彼がいろいろな事柄に翻弄されていたり,投獄されていたりで自由に動けない状況は つまらないとは思っていた。早く出てきて,何かおもしろいことを始めないかな,と。
という 記事 があった。GoogleがGoogle Readerのサービスを打ち切るという例の話から始まっている。 私が仕事関係で外部のサービスを利用したくないのは, こういうことがあるからだ。 職場内SNSを立ち上げようと思っていろいろ調べているのだけど, ときどき結構よさげなサービスが見つかる。 でも手元に置いておけないのは怖いんだなあ。 私の価値判断では「自由であるかどうか」がかなり大きいウェイトを占めているように思う。
あ, livedoorメールも終了 なのか。使ってないからいいけど。
先の衆議院選挙がいわゆる「一票の格差」を是正せずに行なわれたことについて, 広島高裁が選挙を無効だとする判決を出したとのこと。 今まで違憲だという判決は何度も出たけど, 選挙をやり直せという話にまではならなかった。 このような判断は戦後初とのこと。
国政のことをどうこう言うつもりはなくて, まずい状況を放置したままでも組織って動くものなのだよなということを最近よく思う。 ときどきガス抜きをして慰めればいいと思ってるんじゃないかという運営 (実際の行動に影響を及ぼさない「違憲」判決だって一種のガス抜きだろう)。 そんなの仕事に何の関係もないのに。 そうしてどんどん状況は悪化していく。 自分の任期をやり過ごせればいいという人にとってはそれでいいんだろう, それが全くの職務怠慢であったとしても。
私のtwitterでの初つぶやきは 体にロック分が足りない というものだった。2007年9月11日10:35。
というのは,職場で片づけ物をしてたら週間ダイヤモンドがツイッター特集をしてたやつが 出てきて,それが2010年のものだったから。もう3年も前か。 あのときアイコンを載っけてほしい人は連絡してねっていう話があったので飛びついたら, ちゃんと掲載されてびっくりしたのだった。 津田大介とホリエモンの対談記事があって, 彼の逮捕ってそんな最近のことだったんだなあとか思い出したりもした。
スラッシュドット・ジャパンに 自分の置き換え要員,どのように育てる(or 育てない)? というストーリが掲載されていた。 投稿の中に,ドキュメントがどうとかいう話があるので考えたのだけど, 私もドキュメント作りは苦手だ。 その原因はいくつかあるのだけど, 自分自身が仕事をドキュメントで受け取る経験をしていないということも大きいように思える。 教員の仕事というのが元々そういうものではない… と書きかけて思ったのだけど,「そういうものではない」のは生徒に対する活動であって, 事務仕事は「そういうもの」なんだよね。 私が後継者を作らなくちゃいけないと言ってる事柄は事務仕事の方だから, できなくはないんだよなあ。 でもどういう風にドキュメントを作ったらいいかということから 勉強しなくちゃいけないし,後継者にもそれを勉強してもらわなくてはいけない。 後継者候補が一人いるんだけど,私も彼も「いざとなったらソース読む」派だからなあ。
話は違うけど,この仕事の基本的な精神みたいなところはドキュメントではどうしようもない。 前任者から引き継ぐとき(その頃にはネットワークもなくて,仕事の内容は随分 変わってきたのだけど)「あらゆる意味で最後の砦にならなくちゃいけない」と言われていて, 私なりにそれは守ってきたつもりだ。 でもそれは外には見えないことだから,じかに伝えていかなくちゃいけない。