句点と読点を別々に設定できるようにしてみた。 といってもPythonの文法とかわからないので, ただPeriod Styleのところのコードをコピペして読点用に書き換えただけ。 これって需要あるかなあ。 「ibus anthy 句読点」で検索してこのブログに来た人がいるみたいなので, たぶん同じことを考えた人はいると思うんだけど…。
1月13日のSpinlockの記事には「西脇氏のノリがわからん」とも書いてある。 彼はその後,自作したキャラ 「ゆるにょん」 が非常に気に入ったようで,その後のブログほとんどの記事にゆるにょんを 登場させている。 だから LIV MOONのCD ジャケットにもゆるにょんがいないか探してしまった。
CDはけっこう良かった。シンフォニックメタルというようなジャンルには まったく縁がなかったのでよくわからないのだけど,ボーカルがすごいわ。 ファーストアルバムが楽しみな気がする。
11/29の朝くらいに停止する見込みだとの アナウンス があった(irc6.nara.wide.ad.jpも)。 ircnetの維持は何かと大変なようですが…お世話になりました。
ここんとこ体が重い。 いや,間食のせいとかじゃなくて。 ずっと体をひきずって動いてる感じ。 人に会う間ずっと演じてるのがきつい。 日照時間の影響とかそういうのもありそうな気がする。
車の12ヶ月点検の待ち時間に『頂きはどこにある?』(スペンサー・ジョンソン著, 扶桑社)を読み返す。この本にしても『チーズはどこへ消えた?』にしても, 新しい「情報」が書かれているというようなものではない。 物語として書かれていることに価値があるのだと思う。 冒頭でアンが
私,本当は何でも変えるのが嫌なたちなの。だから,新しいことは何度も聞く必要があるわけ。 と言っているが,まさにそのことだ。情報であるなら1度聞けばそれでいい。
物語の中で老人は
君が見いだすものは,ほかならぬ『君自身』の英知になるのであって,私やほかの人の英知になるのではない。 と言っている。 Lifehackはえてしてそういうものだ。 誰かのために自分を高めるのではなく, 自分を高めることが誰かのために も なりえる。 私たちはそれぞれ自分の物語を持たなくてはいけない。
大筋とは関係ないのだけど, 主人公の会社では
多くの部署が資力以上に金を使っていた。会社がうまくいっていると安心していたのだ。 という状況があったと語っている。 同じことは この国で,あるいはもっと小さい集団で, ずっと続いているように思える。 生み出した以上のものを得ることはできないのに。
Ubuntu 9.10はIMをSCIMからiBusに変更したらしい。
で,さっそく句読点を「,。」に…と思ったのだけど, 句読点スタイルは「、。」と「,.」からしか選べないらしい。 せっかくなのでソースを見てみたら…Pythonやん。 文法なんか全然知らないのに…。
とも言ってられないのでgrepしまくる。
句読点の扱いは
engine/jastring.pyの
def _chk_text(self, s):period = self._prefs.get_value('common', 'period_style')symbol = self._prefs.get_value('common', 'half_width_symbol')number = self._prefs.get_value('common', 'half_width_number')ret = ''for c in s:c = c if not period else PeriodTable.get(c, c)c = c if not symbol else SymbolTable.get(c, c)c = c if not number else NumberTable.get(c, c)ret += creturn retの部分なのかなと思う。 この部分はCでいう三項演算子みたいなものなのかな。ってことは periodってbool扱い?ってことは句読点を3種類にするのは面倒?
当面はテーブルそのものをいじってしのいでみたけど, ほんとうに設定できるようにするんだったら句点と読点を別に設定できるように するといいのかな。気分が乗ればそのうちにやってみるかも。
青山和裕教授(愛知教育大学)の講演「新学習指導要領・数学I『データの分析』 を始めとする高等学校での統計の指導について」を拝聴。 私は以前から統計をちゃんとやれと 主張 してきたので,非常に楽しみだったのだ(と言いつつ, 職場を抜けるのに苦労して遅刻したが)。 青山氏は「初等中等教育で統計をまともにやらない先進国なんて他にない」とか 「20年遅れてる」とか煽りまくり。 私がイメージしていたものよりもっと きちんと 統計的な考えを教えようとしていることが伝わった。 たとえば『統計でウソをつく法』(ダレル・ハフ著,講談社ブルーバックス)にある ようなことも統計リテラシーであるとか (AP DEL Statics INS Statistics からの問題例が紹介されたが, それらはこの本に通じるものであった), 四分位数の定義は いくつかある けど「 こまけぇこたぁいいんだよ (AA略)」とか, データの特徴や全体的な傾向を掴むことが大事なのであって, それは必ずしも検定や推定ではないとか, 考察して論述することを重視したいとか。
私が危惧するのは,この単元だけアプローチが違うことによって 生徒や教員が敬遠してしまうのではないかということだ。 特にセンター試験などの入試の傾向が公開されたらそれへの対策でよしとしてしまう ことは容易に予想できる。 「答え方」を教えることは「考え方」を教えることにならないというのに。
日本統計学会統計教育委員会 の 「センサス@スクールプロジェクト」 にあるデータサンプルとか, 「データで学ぶ!統計活用授業のための教材サイト」 はおもしろそうだ。
Excelではヒストグラムを作るのが面倒だという話が出たけど, R なら簡単なのになあ。boxplotもsummaryもfivenumもあるし(どれを使うかによって 四分位数の扱いが違うというのは 奥村先生のブログ を読むまで知らなかったけど)。