眠け覚ましに「発想法」(川喜田二郎,中公新書136,ISBN 4-12-100230-X)を再読(人に勧めるので)。98〜99ページに述べられている,図解化と文章化の関係認知能力の違いに関して古いことを思いだした。小学生くらいの頃の社会の時間だったと思うのだけど,ノートにいろんな事柄の関連を「発想法」の各章の表紙の図みたいな感じ(もちろん当時こんな本知らなかったし,複数項目を囲ったりもしない矢印だけの拙いものだけど)で矢印でつないで書こう(箇条書や文章で書いていくよりわかりやすくて速いと思ったので)として先生に止められたことだ。それ以来その書き方はやめてしまったのだけど,止められたことを今でも覚えてるくらいだから何か思うところはあったのだろうと思う。
最近の子供たちは「きちんと書く」信仰が強すぎる感があるのだが,考えながら清書するなんて芸当がそう簡単にできるもんか。どうして子供の側が「これは○年生で習う(漢字|内容)だから…」なんてことを気にしなくちゃいけないんだ。枠の中でものを選ぶことを「考える」ことだと誤解させたまま,子供を大人にしてしまっていいのか─そんなことを思ったりする。この国の教育を憂えるなら,日教組に育てられた人格云々なんて些細なことを問題にしてる場合じゃないと思うんだけどなぁ。
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