スパイ日記
ふとスパイ日記をいろいろ読んでみる。「事故はある日突然に」で保険会社とのトラブルを扱っているが,私はこういうのはダメ。不戦敗ほぼ確実。自分の記憶をまったく信用できないので,下手すると向こうの言いなりになってしまう。この「自分の記憶が信用できない」というのは謙遜でも卑下でもなくて,自分流に解釈しないと何も覚えられないところが私にはある。これは能力でもあるような気もするのでそれはそれでいいんだけど。
PANTAの1987年のCD「クリスタルナハト」の解説(管岳彦氏)に「人間臭さってこういうことなのかもしれないな」という一文がある。「人間的」という言葉はよくプラスの意味(「機械的」に対立するものとして)で使われるし,凶悪犯罪を犯した人に対して「人間としての心がない」というような表現が使われることがある。しかし実際にはその犯罪に向かってしまった弱さや狡さが人間としての証拠でもあるわけで,そういった意味でアウシュビッツでの虐殺行為などが「人間臭さを放っている」と彼はいうのだ。これが私の考え方にかなり近い気がする。性善説とも性悪説とも言わないけど,存在は肯定する。
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