VDSLモデム死亡
帰宅してみると,インターネットに接続できない。 見てみると,モデムに電源が入らなくなっている。 仕方ないので23時過ぎに電話したところ, 三十分もしないうちに折り返し電話がかかってきた。 その日のうちに対応してくれるというのはありがたいものだ。 交換ということでお願いしておいた。
ひかり電話はこういうときどうしようもないな。 ケータイがあるから連絡できたけど, 持ち合わせてなかったら(たとえばかみさんは持ってない)どうやって状況を確認したらいいんだろう。
帰宅してみると,インターネットに接続できない。 見てみると,モデムに電源が入らなくなっている。 仕方ないので23時過ぎに電話したところ, 三十分もしないうちに折り返し電話がかかってきた。 その日のうちに対応してくれるというのはありがたいものだ。 交換ということでお願いしておいた。
ひかり電話はこういうときどうしようもないな。 ケータイがあるから連絡できたけど, 持ち合わせてなかったら(たとえばかみさんは持ってない)どうやって状況を確認したらいいんだろう。
こないだ買ってきたレコードの取り込み。 久しぶり過ぎていろいろ勝手を忘れている。 とりあえず3枚取り込んで,1曲ずつ切り分ける作業に入る。 「Hotel California」から作業を始めた。もちろん表題曲は何度も聴いてるわけだけど, 次の曲も聴いたことあるな,あれ,次も…と何曲か進んだところで, 既にCDを持っていることを思い出した。道理で全部聴いたことがあるわけだ。
しかしCDでは気がついてなかったこともあった。 WASTED TIMEは曲が終わったあと,インストの後奏が入ってるんだと思ってた。 レコードだとA面の終わりの曲で,B面の頭にRepriseがあるのね。 それにCDには歌詞カードついてなかったから,これはこれでよしとする。
授業が終わってからある生徒に「先生はラノベ読みますか」と聞かれた。 「『なれるSE』は面白いと思って読んでるけど,それくらいかな」と答えたのだが, そういえばハルヒも出てるやつは全部読んだのだった。忘れてた。すまん。
『なれるSE』(夏海公司著)を知ったのは, 職員室に生徒から取り上げたと思われる一冊が置いてあったから。 その場でじっくり立ち読みをして,すぐに続きを買い揃えた。 このシリーズ,情報教育関係者に受けがいいように思う。 私は私でいろいろ思い入るところがあって,続きが出るのを楽しみにしている。
特にぐさっと来たのは,2巻の終盤で姪乃浜が過去を語る場面。 コミック版 だと18話か。
私以外誰もできない対応をこつこつ積み上げて,非定型フローを山のように作り上げて,それで─」破綻しました というくだりが他人事じゃないなと。 もちろんそうなってはいけないということは教科書的にはわかっていた。わかっていたつもりだった。 でもこうやって物語で表されると,怖いわ。 実際,それ以来ドキュメント化できるものはできるだけそうしようとしてるもんな。
数学の答案を作る際に下書きが大事だという話は何度か書いた( これ とか これ )。 だったら文章の下書きはどうだろう。 文章の下書きを文章で書いても意味がないんじゃないかと最近は思っている。
きれいな文字で書き直す(あるいはインクで手書きする)という意味での「清書」のために, そのまま書き写せばいい状態の「下書き」を書くというプロセスはわからないではない。 文字をきれいにするという作業の最中に,文章を直すという雑念を入れると, 悲しい結果になることがよくあるということは私も何度か体験した。 しかしアウトプットにPCを使うならそんな「下書き」の必要はない。 文章化する前の下書きが必要だ。
twitterで 「編集にネームを直せと言われたら?」 というまとめが紹介されていた。 編集の人がネームを読んで「ピンとこない」というのは, そのための仕込み・仕掛けに失敗してるということなのだから, 「ピンとこない」部分だけを直してもうまくいかないことが多いのだという。 これはマンガの話なんだけど,文章でも同じことだと思う (プログラミングでも,エラーが出てる行に間違いがあると決めつけちゃダメだしね)。
そんなことを考えながら『論理が伝わる世界標準の「書く技術」』(倉島保美著, 講談社ブルーバックス)を読んでいる。
試験が近づくとよくある質問:「○○やっといたら何点くらい取れますか」 …知るか,そんなもん。 むしろこちらが「これだけ教えておいたら君は何点くらい取れますか」と尋ねてみたい。 目安がほしいという気持ちはわからないのではないのだけど, やることに上限をもうけようという気持ちが透けて見えるのが面白くない。
おもしろいブログ記事を紹介されたのでメモ。 「社畜の異常な愛情/または日本人は如何にしてラクするのを止めて労働を愛するようになったか」 。 自分では持ってなかった視点なので,興味をひかれた。
人々が飢えるような状態では牛馬を維持するコストがバカにならないため, より安い労働力として人間が働いた, そのため「額に汗」を異常に重んじるようになったのではないかという。 そういえば,Excelでの非効率な手作業に嫌気が差して,マクロを作って効率化したら, 褒められるどころか「ズルいことをするな」と咎められたという話を聞いたことがある。 実話かつくり話かわからないけど,現実にあっても不思議がないことではあると思う。
学校という場での異常な禁欲も根は近いところにあるような気がする。 先日部活の試合があったのだけど, 待ち時間のときにある生徒がスマートフォンに外付けバッテリをつないでいた。 そんなものを持ち歩くくらい,彼はスマホをよく使っているということだ。 もちろん,ゲームをやっていることも多い(最近はやりなのは, 石を指でぐるぐる移動してそろえるやつかな)のだが,それだけではない。
生徒がiPadやタブレット,ノートパソコンを持ってくることは, 今後どんどん自然なことになってしまうと思うんだけど, 学校ではスマホやケータイ,場合によってはKindleや電子辞書さえ禁じてしまう─それらは ゲーム「も」できるから。 プログラミングの学習でゲーム作りを禁じられていたらと思うと,ぞっとするのだがなあ。 遊びを禁じられた学習はつまらない。
もちろん手作業の大事さは そういう研究結果 によらなくても,身をもってわかっている。 それでも,そのことは子供をテクノロジから遠ざける理由にはならない。 どうせ彼らは両方使うようにならなくてはいけないのだから, やるべきことは両方に近づけることだ。 それを制限しようとする教師は, 自分たちが生徒だった頃のように「額に汗」をしろと言ってるだけじゃないのかな (その手作業だって決して洗練されたものではなかったし, 多くの現代人のIT利用だって同じようなものだとも思うが,それはまた別の話)。
我々教師は 「やらなくてはいけないこと」「やるといいこと」 「やってはいけないこと」 をよく口にする。 しかし一方で,生徒がそれらだけで動くようになることを危惧する。 上記した3つだけなら,本人は何も考えたり感じたりする必要がない。 この点については,名古屋ライフハック研究会#18のLT 「教員としての雑感」 で述べた通り。 自分たちは 「やらなくてもいいこと」「どうでもいいこと」「やっても構わないこと」 をいくつも,熱心にやってきた。それらが何かに結びつくなんてことは考えず, 実際それだけに終わったものもたくさんある一方で, 自分の重要な部分を形作るに至ったものも少なくない。
大人には「いらんこと」を楽しむ手本を見せる責任がある。 子供たちが去勢されてしまわないうちに。
世の中では3連休という噂があるが,3日とも仕事だった。 今日は少し早めに終わったので,自分へのご褒美ということでふらふらと散策。 久しぶりにレコードを買ってきた。 これから平日なので,聴けるのは次の週末かな。
ちと職場でデスクワークをしていたのだが, 腕が冷える。肘から先が冷えるのだな,指がかじかんでくる。 そんなわけで耐え切れず,アームウォーマーを買った。
最初は近所のアピタに行ったのだが見つけられなかった。 適当にぐぐってみたらユニクロがどうのこうのというのが見つかったので,そちらに行ってみた。 サイズとか選択の幅はあまりなかったのだけど,まあ仕方あるまい。 セールで500円ということなので試しに買ってみた。 手首が冷えないのはありがたい。効き目ありそうだ。 しかしこの程度しか指にかかっていないのに,キーボード打つときには影響があるんだな。 まあそのうち慣れるだろう。
しかしユニクロのサイトで商品を検索すると「WOMEN」って書いてあるんだよな…。 男だって冷えるんだよ! 寝るとき靴下はいてるのは我が家では私だけなんだよ!
