Facebookにシェア
このブログに投稿したときは, アップロードと同時にtwitterにその通知を投稿している。 以前はそれをFacebookに流していたのでそちらでもシェアできていたのだが, 仕様が変わってそうはいかなくなった。 仕方ないから手打ちをしようかと思ってブログの画面を見ると, 下にシェアとかのボタンがある。 そういえば設置したっけなあと思って試しに押してみると, ちゃんと機能してくれた。 これは意外。
このブログに投稿したときは, アップロードと同時にtwitterにその通知を投稿している。 以前はそれをFacebookに流していたのでそちらでもシェアできていたのだが, 仕様が変わってそうはいかなくなった。 仕方ないから手打ちをしようかと思ってブログの画面を見ると, 下にシェアとかのボタンがある。 そういえば設置したっけなあと思って試しに押してみると, ちゃんと機能してくれた。 これは意外。
情報処理学会の教員免許更新講習というわけで名古屋文理大学へ。 今までも部分的に補助講師をやったことはあったが, 今回は午後がまるっと私の時間。 事前にだいぶ準備をしたつもりだったのだが, 時間を少し余らせてしまった。 そんなわけで最後にpaiza.ioやpaiza.jpのデモとかやってみたりする。
最初にガチャのシミュレーションをやったのは, WaPENに慣れてもらうことの他に, センター試験問題への橋渡しであったり(配列をなめてフラグを立てたりするところとか), こういうシミュレーション自体が教材になるというデモだったりしたのだが, うまく伝わっただろうか。
アンケートを見たが「難しすぎた」という感想がいくつかあったのが残念。 難しいという印象を持たれることは想像していたが, 「すぎた」となってしまったのはネタの練り込み具合が足りなかったということだろう。
誕生日だからというわけではないが, 学年通信の執筆とチャペル礼拝でのお話の順番にあたっている。 そんなわけで,学年通信に書いた拙文を転載する。 最後の一文は聖書の「ヨハネによる福音書」第8章第32節であり, チャペルでのスピーチはこの節につながる話であった。
与えられた「は・じ・き」からの解放
小学校の算数では「割合」が大きい難関であると考えられています。 速さの問題もその一種なので苦労した人も多いかと思いますが, 中には「は・じ・き」(あるいは「き・は・じ」)の図で 覚えた人もいるでしょう。 知らない人のために簡単に説明すると, は やさを求めたいときには き ょりを じ かんで割ればいいというようなことがこの図から思い起こされるというもので, 同様に割合では「く・も・わ」なんていうのもあるそうです。 私はこの図が覚えられませんでした。 上にくるのが「は」だったか「き」だったかと いうようなことを暗記するのが苦手だったのです。 だからこの図が必要なときには 「距離は速さに時間をかければいいんだから…上にくるのは『き』だな」 と考えたりしました。 もっとも「距離は〜かければいい」がわかっているのだから, 自分が問題を解くときにはその図は必要なかったのですが。
子どもたちは,いや,大人たちも含めて「本当に」文章が読めているのだろうかということを問題視している人たちがいます。 日本のような識字率が高いと言われる国でも,実は「機能的非識字」の人が多いと考えられるというのです。 短い文や単語の意味なら捉えることはできても,それが組み合わさった「文章」の意味を理解することはできず, 結局目についたキーワードの感触だけで物事を判断してしまうということなのですが…思い当たる節はありませんか。 関係もわからないのに闇雲に「は」「じ」「き」に何かを当てはめて,無責任な答えを出していませんか。 もちろん「は・じ・き」は一つの喩えでしかありません。 与えられたテンプレートにしたがって,用意されたキーワードを並べて答えを書くことで,何かを解いたような錯覚を起こしていませんか。
ITの世界には「KISSの法則」と呼ばれるものがあります。 これは``Keep It Simple, Stupid!’‘の頭文字を取ったもので, 物事を複雑にすることは容易であり,単純にすることはとても難しいものなのだから,意味のない複雑化を防ぐ方向性という点では正しいものです。 しかし何もかもが単純にできるなんてことはありえません。 本当に複雑なことは複雑にしか表せないものです。 あるジャーナリストは「あらゆる複雑な問題には,明瞭で単純で間違った答えがある」と言いました。 にも関わらず,単純な短い言葉で断言を繰り返す人を,
教科書が読めるということを一つの目安に考えるといいかと思います。 授業では先生方が噛み砕いたものが提供されるので, それを摂取するだけでは鍛えられません。 外山滋比古氏は知っていることを読むのをアルファ読み, 知らないことを読むのをベータ読みと区別し, アルファ読みができることで文章を読めると錯覚してはいけないとしています。 ベータ読みを通じて,自分の奥歯で作った「は・じ・き」だけが真理であり力であるのだと私は考えています。 「答えを書く」ことと「解く」ことに隔たりがあってはいけない。 あなたたちは真理を知り,真理はあなたたちを自由にする。
いろいろ設定をいじる。 タッチバッドはOffにしてしまった方が良さそうだ。 トラックポイントのボタンを押そうとすると, 親指の側面と付け根の両方がパッドに触れてしまって, スクロールと解釈されてしまう。 2本指のスクロールは便利だと思っていたので惜しいのだが, それくらいなら画面をさわってしまってもいいだろう。
中野氏から,WaPENのサイトに関する改善案をいただく。 変数宣言あり版となし版が並列されているが, これは自分のデフォルトと思うものをイチオシにしてしまった方がわかりやすい。 設定ファイルだけで切り替えが効くのだから, 他の設定のはおまけとして用意するのも面倒ではないだろう。 また,自作プログラムのページがごちゃごちゃしてきたので, 各プログラムごとのページに分割したほうが使いやすいと思われる。 マニュアルは必要。 フローチャートは表示するのをデフォルトにしたほうがいい…などなど。
早く手をつけたいのだけど,仕事が…。
29日にX280が届いたので,早速セットアップ。 このタイプのキーボードは初めてなので気分的には抵抗があったが, 使ってみるとなんとかなりそう。 ディスプレイが同じサイズながら1368x768から1920x1080になったので, 広く感じる。 もちろん文字は小さくなっているのだが, これはそういうものだと思ってしまえば困るほどのものではない (いくつかのアプリケーションでは文字サイズを大きくしているが)。 しかしマウスカーソルの移動では画面の広さを実感する。 右上隅のバツボタンが遠いので,タッチパネルをときどき使っている。
背面のThinkPadの文字が上下反転してないし, iの点が光るようになっているのもかっこいい。 さて,これもシールでべたべたにするかな。
中継を聞きながらメールを受信しようとテザリングしていたら, ケータイの通信量の残りが少なくなってるぞという警告メールが届いた。 どうやらデジカメのバックアップを取った分について, owncloudが更新モードに入っていた様子。 ああ,もうすぐ月末でよかった。
代ゼミ名古屋校で中継が見られるということで出かけていった。 新井先生は相変わらずのかわいらしい声であった。
理科の教科書を比較すると, 小6と中1では「定義」を表す文の量が4〜6倍になるそうで, そこで潰れてしまった子が暗記に走るのかなとかいう考察があった。 定義部分をすっ飛ばして解法ばかりを覚えるという態勢はそうやってできていくのかもしれない。
「文章を吟味する力というのは審美眼のようなものだから, 日常的に育まれなければならない」という話には非常に納得した。 人の話とか文章とかを批判的に読んでいるかというか, 批判的な読みができるものを普段から読みつけているかというか, そういうのが大事なのかな,とか思った。
組織の中でのリーディングスキルの差がリスクになり得るという話も納得できる。 理解できる人は理解できない人が理解できないということが理解できないことが多々ありそう。 普段コミュニケーションを取るのは同程度の力をもつ人どうしだし。
正しく読む力と,問題の答えを書く力(「解く」とは言わない)が乖離している のはやはり問題だよなあ。
昨日のうちにクレジットカードの会社から電話があったらしいので折り返す。 急に大きい金額が来たので, 乗っ取りがあったかもしれないという確認のために一時的に止めたとのこと。 確かにこのカードではamazonの引き落としが主だから, 大きい金額になることはあまり無い (この夏の移動で飛行機の支払いをしたのが最近では一番大きかったかな)。 そういう意味では安全側に振ってくれたということなのだろう。