不定期戯言2

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2014/02/08(Sat)

CE123

というわけで大阪電通大の寝屋川キャンパスへ。 そういえば前にもここに来たことがあったな。 この本屋とかあの古本屋とかあの王将とか,2回目だわ。

今回の発表はいろいろと考えるところが多かった。 井戸坂さんや島袋さんのBebrasに関する発表にしても, 中さんたちのアンプラグドの改良にしても, 吉田さんの発表の結果が見えにくいこと自体が一つの結果に見えることにしても, 何か自分の考えに根をおろしそうな話があった。 袴田さんのDENOは手元でつい遊んじゃったし。 懇親会では何かを受賞された掛下さんと長く話をさせていただいた。 IPパスポート試験の位置づけや, 情報技術者試験のような試験を実施できていることの凄さなんかは, 自分たちも意識していなくちゃいけないと思った。

2014/02/07(Fri)

佐村河内氏のゴーストライター問題

私は彼の音楽を知らないので直接このことについて何かを語ろうとは思わないが, 江川紹子氏の 考察 を読んでふと思った。 記者会見で新垣氏が「互いの情熱が共感したことはある」と語ったことについて, 私はこのことが「共犯」の動機にはなると感じたのだけど, 江川氏はオウムの信者と教祖の関係に近い構図を読み取っている。 だとすると, 日本人の滅私奉公的な労働スタイルもそれと同じ構図なのではないか。 彼らを取り巻く状況が「神話」を作り上げていったというのであれば, 自分も何らかの「神話」に精神的な依存をしているのではないか。 …というようなことをぼんやり思った。

2014/02/06(Thu)

意見と文句

意見が意見である間に解決がなされれば, 意見を言う側にも満足が得られる。 しかし解決がいつまでもなされないままだと, 意見が文句に変質する。 そうなれば解決しても,不満が残り続ける。 なんか,そんなことばっかりだな…。

2014/02/05(Wed)

お話

マウンテンが名古屋メシだと言うのなら, ラーメン二郎は東京メシだと言っていいはずだ。

それはさておき,あした人前で話す機会がある。 予定としては半年前からわかっていて,ネタは考えてあるのだが, あえてリハーサルも原稿もなしでやってみようと思う (あいまいだった固有名詞の確認はさっきやっておいたけど)。 さて,どこまで自分の脱線をコントロールできるか, ぶっつけ本番で試してみよう。 ああ,今更ながらに緊張してきた。

2014/02/04(Tue)

入試業務

今日は高校の一般入試。そんなわけで7:30に出勤して, 全部終わったのが23:00。 頭脳的にもずいぶん疲れたのだけど, つくづく実感したのは, 自分が責任者でない仕事は楽だということだ。 もちろん自分の作業については,自分が責任を負っている。 でも責任者の指示通りにやればいい仕事というのは, 頭の中のアイドルループをしなくていいというか, やることについてだけ頭を使えばいいというか, そういう気楽さがある。

普段の自分の仕事が誰からも評価を受けることがないもので, 自分が責任者になってマネジメントしなくてはいけないものばかりという現状がある。 そのことで疲弊しているのだな, ということに気がついた。 自分で判断した向きに穴を掘り進めている。 誰かが「ここを掘りなさい」と言ってくれれば, やることは肉体労働だけで済むのだが, どこを掘るかを考えることも自分の仕事であって, その判断をするということについては誰も評価する者がいない。 自分で自分を評価するしかないのだ。 そんなことをふと思った。

話の対象を変えてみる。 情報という教科の教員は,少なからずそういう面を持っているのではないか。 たとえば数学の教員は,他人からの評価を受け続けている。 そのことが重圧であることは間違いないのだが, どの方向に向かえば評価が得られるという「光」がそこにはある。 しかし情報科にはそれがない。 エクセルやワード,パワーポイントが評価されるのは, それしか知らない人たちはそれ以外の評価基準を持たないからだ。 プログラミングによってもっと自由になれることを知らない人は, 出来合いのソフトウェアで操作ができることでよしとしてしまう。

2014/02/03(Mon)

Might & Magic

しばらく忙しいので,その間に忘れてしまわないように書いておく。 Might & Magicの新しいのが出ているらしい。 Might & Magic X Legacy。 久しぶりすぎて,過去のストーリーを全然覚えていない。 ダウンロード販売で2500円くらいか。 ゆっくりゆっくり進めることになるんだろうな。 あー,早く手を出したい。

2014/02/02(Sun)

名東笑いヨガ

この週末をはさむ2週間が入試関係でやたら忙しいこともあって, 気晴らしのつもりでやってきた。講師は猪子氏。 こういうのが苦手な人もいるのだろうけど,私はわりと抵抗ない。 楽しみながら笑い,体を動かしていく。 最後は横になって呼吸を体の端にまで届かせるイメージ… そういえば卓球の講習会でも「ストレッチは体に酸素が行き渡るイメージをすることで 効果が上がる」と言ってたっけ。 手足の上面は空気との境目がわからなくなってくる。 終わってみると,頭の中がすごくキレイになっている気がする。 いろんな煩わしいことから,今は解放されているように思える。 気持ちいい体験ができた。

2014/02/01(Sat)

とりあえず1年

去年の2月からとりあえず1年間, 毎日何らかの投稿を続けることができた (アップロードが翌日になったことは何度かあるけど)。 ブログのタイトルに「不定期」とつけてあるから, 1年間毎日投稿したら「看板に偽りあり」ってことになるかな,と思ってやってみた。 反省はしていない。

2014/01/31(Fri)

あー,俺ずっと前から知ってたわー。世界で一番最初に気づいてたわー(地獄のミサワ風)。

小保方氏らによるSTAP細胞の件がニュースで盛り上がっている。 噂によると,子供の頃の文集を引っ張りだしたりとかしてたそうで, 「ああ,いつものワイドショー化か」と思ってたら, 「周囲の人の迷惑になってるし,研究の妨げにもなってるからやめてくれ」という コメント が出る始末。 このようなコメントをきちんと出す判断をした賢明さに感心するし, そうせざるを得ない状況を作ったあれやこれやにげんなりしたりもする。

堀江貴文氏の著書『ゼロ』のテーマは,収監前の 『稼ぐが勝ち』と変わっていないということを彼は述べている。 なのになぜ周囲の受け止め方が違ってきたかというと, 『ゼロ』では堀江氏の生い立ちやら抱えてきたコンプレックスやらといったことを 延々と綴っていることにあるのだそうだ。 そうしないと伝わらない,というか,受け手が受け取らない。 多くの人は「 苦労して 成功を掴んだ」というストーリーしか受け付けない。 だから「成功」を語るだけでなく,「苦労」を 見せつけ なくてはいけなかったのだ,と。

それを読んだのは ちきりんさんとの対談 (前編) (後編) だったと思ってたんだけど,読み返してみるとなにか別の媒体だったようにも思える。 何だったかな…。

研究にせよスポーツにせよ, 誰かが何らかの偉業にたどり着いたとき, 日本のマスコミはその人の人となりを語ろうとする。 つまりそれは「伝記」だ。 そして伝記には,決まったフォーマットがある。 たとえば「夢」「苦労」「成功」。 報じる側はそのフォーマットの空欄補充をするために, 「夢」を語っている文集はないか, 「苦労」や「挫折」のエピソードはないか,といった「取材」をする。 しかしそもそも伝記のフォーマットへのあてはめが, ステレオタイプの構成でしかないのだから, 出来上がったストーリーは水戸黄門のようにお決まりのパターンになる。 視聴者は予定通りのどんでん返しを見て安心する。

受け取る側は,いつものフォーマットであれば 「あー,俺ずっと前から知ってたわー。世界でいt(ry)」 と聞き流すことができる。 世の中は自分の頭にある「あの」フォーマット通りに動いている。 だから何も考えを変える必要はない。

日本だけがこうなのか,と言うことは私にはわからない。 でもこういう形での停滞がこの国では淀んでいるように思われる。

2014/01/30(Thu)

JAF再び

車のバッテリが上がっているとかみさんから連絡を受けた。 そんなわけで帰宅後,JAFに来ていただいた。 思ったよりも早く対応してもらえて助かった。

エンジンがかかるところまで面倒をみてもらって, あとはしばらくアイドリングして充電…ということで暇だったので,スマートフォンで Facebookとかtwitterとか眺めたりしていた。結構時間が潰せるものだ。 というか,いくらでも時間を潰せるものなのだな,ということを改めて実感した。 うん,危ない。