不定期戯言

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2000.05.02 (Tue)

armadillo

1周目は「Starting Over」(Mr. Children),「空が高すぎる」(小田和正)だったのだが,喉がガラガラしていて声が出ない。2周目は「流星」(吉田拓郎),「エイジ」(泉谷しげる)で様子見。最後は「心はなれて」(Off Course)をうろ覚えで。

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AIとの向き合い方

北海道教育大学「未来の学び協創研究センター」の公開セミナー「AI/教育情報と学校の向き合い方を考える」を聴講。それぞれChatGPTやBingとの対話を豊かに使っている。それを聞いていて思い出したのは星新一の小説『人民は弱し官吏は強し』の一節にある,星一氏の思考方法だった。

星は自分自身との対話をはじめた。彼は多弁であり,ひとと会う時,相手がなにか言うと,その十倍ほど喋る。しかし,静かななかで一人になると,話しかける相手は自分だけになってしまう。多弁どうしの対話だから,それはしだいに速力をまし,回転し,やがて何らかの結論に到達する。これがいつも,彼のアイデア発見への過程だった。

この多弁な自分との対話は私自身もよくやることではあるが,自分が知らないことが要素として含まれないことが不満だった。しかしChatGPTなどとの対話であればそれが可能になるのではないか。そう考えると,楽しみになってきた。

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センス

私は高校くらいまでの数学にセンスという話を持ち出すことには懐疑的だ。もちろん反応の良い悪いといった違いは当然ある。しかしそれをセンスという言葉で片付けるのはどうかと思う。 例えば私はCGイラストがとても好きではあるが,自分では描けない。twitterでの友人には私から見てすごいレベルのイラストを描く人がたくさんいるわけだが,その人たちと自分の違いをセンスという言葉では片付けたくないのだ。もちろんセンスの差があることは間違いないが,「自分にもセンスがあれば…」とは思わない。単純に考えても,今まで書いてきた絵(落書きレベルも含めて)の数が格段に違うわけで,そうやって彼ら彼女らはセンスを「身につけて」いったのだろう。iPadにApple Pencilをつけているくせにそれで絵を描いたことがない私がセンスの違いを云々するのはあまりにもおこがましい。 数学にしても,私自身小さい頃からかなり多くの算数・数学的体験をしてきている。自分の数学に関する能力はそこからきていると考えているので,「センスがあるやつはいいよな」というようなセリフには耳を貸す気さえ起こらない。

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ヘルメット新調

前に買ったのは63cmまで対応ということだが,かなりきつい。amazonで買った新しいヘルメットは65cmまでということだが,だいぶ違うものである。当分はこれでいく。

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2000.05.01 (Mon)

自転車のチェーン

昨日の帰り道,チェーンが外れた様子。とはいえチェーンはカバーがかかっているのでその場ではどうしようもなく,家まで引いて帰ってきた。朝になって改めてみてみると,カバーの前と後ろが外せるようになっている。中を見ると,チェーンが前のギアのところに溜まっていて…。ということは,チェーンが切れているということだ。これ以上はどうしようもないのでいつもの自転車屋さんに修理をお願いしてきた。 ヘルメットも買わなくちゃいけないなあ。 …自転車は他のところもダメになっているようで,結局買い替え。随分長いこと乗ってたからなあ。

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