今日はシラフだ
「不当に」ということを言い始めると,じゃぁ何が正当なんだということになってくる。あの国に(あるいは日本でもあの地域に)生まれたがために不当にひどい生活を強いられる人がいるなら,相対的に不当にいい生活ができている人もいて,私は後者なのだろう。
ただ,その状況でそれぞれが何をするかはそれぞれの状況や思いによる。私がひたすら内側にしがみついて外側に動きかけることを恐れるのも,おそらくある「不当な」状況(それに気づいてから二十数年ずっと頭を離れない)に起因するのだろう。自分の力を必要とさせることでしか自分の存在を主張できないこと(これは親父の影響),不要とされてしまうことへの強い恐怖にしばられていること,そのために今いる足場から離れられないこと…これは今さら自分ではどうしようもない。前に書いたことは自分のそういう状況,平凡にそれなりに
いることが決して楽ではないという思いから来ていたのかもしれない。
だからこそ私ができない(しない)ことをしようとする人には成功があってほしいと思う。どうか無事で。
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