道徳教育とやら
tss氏に影響されて買った本は,まだ読めてないものが多い。「現代社会の理論」(見田宗介著,岩波書店,ISBN 4-00-430465-2)をかなりゆっくり読んでる(そうしないとわからなくなる)が,どれだけ時間がかかってしまうやら。
で,それとか積ん読の山は置いといて,手近な「対話のない社会」(中島義道著,PHP研究所,ISBN 4-569-55847-X)を読み終えた。自分が普段から感じる窮屈さというのはつまりこういうことなのだなと思った。それはたぶん
I am OK. You are OK. Both are OK.
の最後を
We are OK.
にしてしまってることについてskyさんが「それだとOKなのはあくまでもWeという一人称じゃん,『他』や『異』を受容せずに他人を尊重できるわけがない」というようなことを言ってたのと通じているのだろう。Bothならそこに対立や対話が残るからいい(新しい解決を生み出す可能性がある)のだけど,Weになってしまうと(おそらくこの国では)対話を圧殺する空気に支配されて何も言えなくなる。その停滞した空気がたまらなくいやだ。自分が死ぬまで(あるいは退職するまで)もたせられればいいという立場の人ならそれも一つの選択だが,自分の後の世代を考える仕事がそれでは話にならない。
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