不定期戯言

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2012.06.07 (Thu)

ブラッドベリ逝去

・といっても『華氏451度』しか読んだことがない。で,ふと思った。どうしてあの世界って本がダメなんだったっけ。どこか頭の中で『1984年』と混乱してるかもしれない。

・私には絶対に無理なんだけど,周囲を見てると記憶にたよって仕事をする人がよくいる。何年前のどの学年はどういう考えでどういう計画を立ててどういう結果に結びついた…とか。自分にできないことができていることをうらやましくも思うのだけど,どうして記録に残さないのかとも思う。文章に書くことによる「気づき」があるというのはKJ法(の文章化)でも小ざね法でも言われることだ。もちろん年度ごとにまとめの文書は作られるのだが,結論がどうであったかということばかりで,そこに至る考えの動きといったことには触れられない。そんな「死んだ」文書に残らないものをどうして残さないのかなあ。

・冒頭にあげた2作品は一度読み返した方がよさそうな気がしてる。肝心な「生きた」記録が残らないことについて考える助けになるかもしれない。

コメント(4)

だきわ wrote at 2012-06-08 00:20:

うちの組合の記録が実際感覚頼りの記憶だけであったことを思い出した。
ブラッドベリは大学のとき英語の授業で読んだっきりだなあ。
#担当の先生はチェスのインターナショナルマスターの人だった。

わたやん wrote at 2012-06-08 23:43:

記憶って,都合のいいように,あるいは悪いように変質しますからねぇ。

tss wrote at 2012-06-09 00:07:

為政者にとって市民はものを考えないほうがいいのですよ、、、
考えずにすむ娯楽を与えておけば平和、、、
ブラッドベリの洞察した未来はもうやってきていますね。

わたやん wrote at 2012-06-09 23:31:

教師が教室の為政者であろうとするなら,考えずにできる点取りゲームを与えておけばいいのかもしれない。

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