不定期戯言

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2012.06.08 (Fri)

(sinx)/xの極限

・(sinx)/xのx→0のときの極限と,x→∞のときの極限はまったく別物なのだけど,区別がついてない人っているんだなあ。この形だったら比較的大丈夫なんだけど,xsin(1/x)のx→0とx→∞になるとダメな人をよく見かける。

想像力が決定的に足りないのだろうと思う。そしてそれをどうやって鍛えればいいのか。もちろん授業ではそのイメージを伝えようと苦心するのだけど,たぶんそれってノートに残らないところであり,解答の「清書」に残らないものだから,彼らはスルーしちゃってるんじゃないのかなぁ…なんてことを思う。

・何年か前,学校の何かの文書の中で授業で一番大切なことは口伝されるみたいなことを書いた。そのことは何度でも生徒の前で言った方がいいんだろう。

コメント(2)

ほり wrote at 2012-06-11 01:01:

こんにちは。
おっしゃるとおり「授業で一番大切なことは口伝される」と思います。
繰り返し、繰り返し、また、強く印象に残るように言うことが伝授の根源かもしれません。
聞いた話ですが、小出監督はQちゃんに「3キロのところに穴ぼこがあるから気をつけて」と毎回言ったそうです。Qちゃんは、そんなことわかっているのに、なぜ監督は毎回同じことをいうのだろう、と思ったそうです。ところが、あるとき、監督がいませんでした。その時初めてQちゃんは、「3キロの穴ぼこ」を思いだし、監督が何度も言い続けた意味を理解したそうです。

数年前?「本」を書きたいと思ったことがありました。随分たくさん言葉を連ねました。でも、本当に言いたいことは文字に出来ない、文字にしても、肝心なことはやはり伝わらない、と身にしみてわかりました。
ひょっとしたらソクラテスが書物に嫌悪感を感じたのも似た理由かもしれません。
イマドキの生徒は、模試の「解説」を読むことを勉強だと誤解しているフシがあります。これが真の意味での勉強になり得ない理由は、自分で考えない、といこと以外に、解説は口伝になりえないから、と言うのもありそうです。

わたやん wrote at 2012-06-12 23:14:

Qちゃんの話はおもしろいです。言い古された表現だけど,「染みこんで」しまうんですね。
勉強会でいろいろな方の話を聞くとき,「本で読んであることでも,生で話を聞くとわかりやすいなあ」と感じます。私は本を読むことは著者との対話だと考えているのだけど,それはあくまでも自分の脳内仮想著者であって,現実の著者はやっぱり別のことを考えているものなのだなあ,と。

「解答読解」がダメだというのは某予備校の先生が書かれた「脱・解答読解」に詳しく述べられていて,私もあちこちで紹介しています。アレは勉強じゃないというのは同感です。解説は口伝ではないから…というのは考えていませんでしたが,その要素もあるのかもしれません。たとえば生徒は挙手したり発言したりしなくても,教師にフィードバックを送っています。教師はそれを受けながら話を調整していくわけで,いくら丁寧な解説プリントを作っても同じことはできません。

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