「意思の力」が減っていく理由
という記事があった。「自我の消耗」「我慢の蓄え」「グルコース」…どれもうなずける。最近の不調は,薬との相性もあるとは思うのだが,引き金を引いたのは「自我の消耗」であり「我慢の蓄え」が尽きたことでもあると思われるのだ。
以下,愚痴。
私の負担を軽減したい,と口にする人は多い。でもそのために手を動かす人は少ない。
職場に横から入り込んできたIT,それを取り込んだ大きい動きを作ることでしか負担は解消されないのだが,その視点を理解する人は少ない。少なくとも管理者や理事会には皆無だ。彼らは既存の枠組みの中でしか物事を理解しないので,自分のわかる範囲に押し込めてごまかそうとしてしまう。それでは私の負担は増える一方だ。
しかしそれを改善しようとすると,新しい動きをコーディネートするのも結局私の仕事になってしまって,負担は増え続ける。それがこれまでの20年であり,この後も何年か続いていくのだ。その道のりの遠さに「消耗」し,「蓄え」が尽きてしまっている。
でも気持ちはロックでありたい。
だきわ wrote at 2012-10-11 11:51:
わたやん wrote at 2012-10-11 22:43:
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