学年通信
学年通信の当番だったので,軽い文章を書いてみた。
Twitterを眺めていたら,面白い投稿を見つけた。その人がTwitterを始める前,始めてから,そして利用時間に制限を設けたときの,それぞれの時間の使い方をグラフにしてみたというものだ。うろ覚えだがだいたいこんな感じだったと思う。
始める前は勉強や読書に使っていた時間をTwitterにずいぶん侵食されてしまったので,時間制限をしてみたら空いた時間は何もせずに過ごしてしまっていたというのだ。納得できるとか,自分もそうだというようなコメントが多くあった。筆者自身にも身にしみてわかる話だ。だからTwitterには手を出さないでおこう---というような話がしたいのではない(そもそももう手遅れだ)。時間を使うということ自体も一つの能力なのだということを話しておきたい。
いつだったか,碁会所で囲碁の小さい大会に出たことがある。持ち時間が決められていたので対局時計にセットしたところ,対局者が「時計押さなくていいよ」と言い出した。ルール無視で大丈夫かと思ったが,とりあえず時計は進めるだけ進めて打ち始めた。その対局はそれまで打った中で一番よく頭を使ったのだが(結局コウの損得を見誤って負けた),終わって時計を見ると2人合わせて1人分の持ち時間さえ消費していなかった。プロの対局は1人数時間の持ち時間で行われたりする(テレビでやっているような早碁は別)。それは彼らがそれだけの時間考えることができるということであり,筆者のような素人は考えることに何十分かの時間を使うのが精一杯だったのだ。
高校生であるみんなは実際のところ忙しい。部活動や生徒会活動では中心的な役割を果たすことも多いだろう。受験と言われてもそれらが片付くまでは本腰を入れられないという気分になることもわかる。しかし,いろんなことが片付いて時間ができたとき,本当にそれを使うことができるだろうか。最初のTwitterの話のように,空いた時間をただ空いたままにしてしまったりはしないだろうか。
森博嗣という(元?)小説家は,最近出した新書のあとがきで,自分が面白い生活をするためにずいぶん時間をかけて準備をしてきたということを語っていた。趣味である工作を思う存分行うためにはお金が必要で,そのために今使えるリソースを検討した結果,夜の空いた時間を使って書いたことがない小説を書くことを決めたのだという。部活が終わったら,入試が終わったら,就活が終わったら,結婚したら,子供が独り立ちしたら,定年が来たら…そうやって|やりたいことだけでなく,やるべきことまでも先延ばしにしてしまうのは,結局のところ面白くないことなのだと考えている。
Someone wrote at 2020-02-02 20:19:
わたやん wrote at 2020-02-02 20:32:
na wrote at 2020-02-13 11:10:
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