ハンガーストライキという暴力的な手段に出てしまったら,
せっかく積み上げてた思いやなんかやかがすべて台無しだよなあ,
てな独り言をいいながら鳥はむを仕込む。
今日は試合の引率だったのだが,
待ち時間がやたら長かったので新書をぱらぱら。
『情報って何だろう』(春木良且著,岩波ジュニア新書457)はジュニア新書
だけあって生徒によませたいとも思ったが,歴史的なことなんかは私自身かなり
勉強になった。ワーテルロー・スクープとか,FAは成功したけどOAは成功しなかったこと
とか,アメリカン航空が「うまく」やったこととか。
やっぱりこれは大人も読んだ方がいいんじゃないかな。
ここでいう情報処理は…いわば情報の変形であって,新たな情報の創造ではありません
とかわかってない人がごろごろいるし。
『凡人が一流になるルール』(齋藤孝著,PHP新書603)はささっと読む。
偉業をなした6人の仕事の習慣を,ミニ伝記仕立てで紹介している。
いくつかはなるほどと思うし,いくつかは納得できないし,
いくつかは既に自分のルールであった。
確かに十代に読む伝記とはまた別の意味があるな。
『差がつく読書』(樋口裕一著,角川書店)で語られる「読書」はとても現実的だ。
「実読」と「楽読」の区別とバランス,そしてそれぞれの方法については
お上品なお作法を守って時間を無駄にしないように,
でも決していい加減な読み方にならないように考えられている。
私にとっては新鮮な視点がいくつか示されていて,
「なるほど,そのような読み方をしたら楽しかろう」と思わさせられた。
おや,末尾の「私の読んできた百冊」にイリイチの『脱学校の社会』が。
これも縁か。
それにしても,この本に限らず一部の「実読」書に対して思うのだが,
「大事なところをゴシックにする」のは見苦しいからやめてほしい。
あんなことされたら線ひいて読むのに邪魔なんだ。
三色ボールペンを構えていざ読もうとしたら,
既にゴシックになっていて萎えたこともある(しかもそれが齋藤孝氏の本だった)。
どうせやるならアスキーの256本くらいのことをすればいいのに
(『腐女子彼女』でも可)。