外での発言
ジョーシン09春のパネルでフロアから発言した内容について…書こうと思ったのだけど,もうかなり忘れてしまっている。断片的にいくつか書いておこう。
- 操作教育に対する批判は高校・大学の両方から根強くあるが,だったらなぜ大学側の人が高校の情報科に失望した理由として「WordやExcelをろくに使えない」という声がでるのか。
- 情報はコンピュータと切り離された方がいいのかもしれない。
- むしろ「勉強科」という教科ができるべき状況になっているのではないか。
操作教育に関してはそのままの話。たとえば私自身はワープロをほとんど使わない…それはLaTeX本を書いた人のせいだ,と冗談めかして言ったが,LaTeXを使うことや本に書かれていたSGMLに触れたこと,あるいはMS-DOSでXTRを使ったことなどが,私にいくらかの「ワープロ力」をもたらしてくれたと思っている。だからWordでも一太郎でもある程度の文書作成はできるつもりだ。本当に求められているのはそういう能力なんじゃないのか?もちろん,基本的な操作能力はもともと求められているものではあるが。
今はコンピュータに関係することが何でも「情報科」に押し付けられているところがある。ならば情報とコンピュータを一度切り離した方がいいのかもしれない。そうすれば逆に,コンピュータに関わる勉強としてやらなくてはいけないことが何なのか見えてくるのではないか。
「勉強科」と言ったのは梅棹先生の『知的生産の技術』のあとがきにあった「情報科」に通じるものであり,前段で「切り離した」ものでもある。コンピュータという便利な道具ができた40年の間に,知的生産の方法も変化してしかるべきだと思うのだが,学校でやってることはそんなに変わっていないように思われる。勉強というものそのものを見直さないで十年一日のような授業をやってていいのか,と旧来の教科に言いたい。
11日はアドミンティーチャーズ第一回勉強会ということで大阪に行っていた。松本氏はもうそろそろホチキス先生という名前から解放されてもいいような気がするのだが…それはともかく,システムを内製する考えについてはかなり近いように思われた。技術的な能力が求められるのは当然だが,それ以前に業務分析や学校システムのデータフローが作れなくてはいけないからだ。(彼のメールにあった言葉を借りて言えば)「仕様をどう作るか」が先にあって,次にそれを「どう実装するか」がある。その仕様を外の人にきっちり説明できる教員がいるとは思えない。
質疑のときに「それに加えて重要なのは政治力だ」という発言を行なった。学校の業務を分析して仕様を作り,実装した後,さらにそれを学校の業務として位置付けなくてはいけないからだ。でないと,物好きが作った一過性のシステム,あるいは学校内の外注システムと扱われて苔むしてしまう。私自身,学内でここ十数年の間にやってきたことの多くは,結局そのような政治に介入するための下積みであったようにさえ思える。まあ会議が増えて授業やコード書きに専念できない今の状況には不満も非常に多いのだが。
こっちは「情報教育」カテゴリじゃないな…まあいいか。
だきわ wrote at 2009-04-14 09:00:
ほった wrote at 2009-04-14 21:06:
わたやん wrote at 2009-04-22 19:39:
tss wrote at 2009-04-23 22:39:
わたやん wrote at 2009-05-03 01:24:
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