例の人質事件について。批判する人は自分がそれだけのことをできるわけでも,あの危険に飛びこめるわけでもないのに
という考えもあるとは思う。その点について言えば,私はそういった地域に出かけていって何かをするという勇気も意思も知恵もないわけで,行動を起こせる人に対してはただ尊敬する。だからといって,そのことで何かが免責されるということにはならない。誉められる部分できちんと誉められるべきだし,責められる部分できちんと責められるべきだというだけの話(もちろん責めすぎることは間違っているが,背負わねばならないものが不明なままでは今後あらゆる行動が不可能になってしまう)。ある部分のマイナス評価のためにせっかくのプラス評価がなくなってしまうわけでもないし,プラス評価がされている部分があればマイナス評価に目を向けなくていいわけでもない。プラスとマイナスを一次元のあっちとこっちの綱引きだと考えるとおかしいことになる。ほんとうは全然別方向の二次元なのに。
帰宅するとMr.ChildrenのCDが流れていた(長女が好きなのだ。私も好きだし)。
駄目な映画を盛りあげるために簡単に命が捨てられていく(HERO)
交渉の演出道具にまで落としめられた命が帰ってきたことには正直ほっとした。その分,そのまま何も語らずどこかに行ってしまったことに対して「心配して損した」という感情は拭えない。私が一番気になっているのはその点であって,自作自演説だとか自己責任だとかいったことはどうでもいい。数秒でも無言でもこちらを向いてくれれば少しは安心できたのだよ。
言うまでもないことではあるが,日本国内でのうのうと暮らしている多数が不当に楽して生きていると考えることは,平凡にそれなりに生活している我々市民に対する許しがたい侮辱だ。
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