その待ち時間とかを利用して「14歳の子を持つ親たちへ」(内田樹・名越康文著,新潮社,ISBN 4-10-610112-2)を読んでいた。最近読んでいたいろんな本とつながるのが不思議…って,選んでるのが同じ人間だからしょうがないか。フロイトが「トラウマというものは実在しないのだけど,そういう話を作っておくことは治療法としては有効だから,上手に嘘をつくといい」と言ってたのは知らなかったとか,「somethingについてeverythingを知っていると同時に,everythingについてsomethingを知っているということが教養である」という定義は面白い(知らないことに出会ったときに推測を巡らす楽しさを知らないのは不幸だと思う)とか,「システムの成り立ちを知るには,それが破綻したところをちらっと見ないとダメだ」というのはすごく心あたりがあるとか,いろいろ面白かった部分はあるのだが,そればかりを書くと本の引き写しになってしまって面白くないのでこの辺にしておく。
と言いつつ,もう一つ頭に残ったことを自分の考えも交えて整理してみる:言語による表現には訓練が必要だ。だから情緒や身体のメッセージを表現しようとしても,言語能力が追い付いてこないことはよくある。そんな状態で無理に言葉を要求されたら,どこかからストックフレーズを拾ってくるしかない。しかしそれに頼ってばかりいると,「表現できないものは最初からなかったことにする」というフィルタリングが身についてしまう。そんな風にして感度が鈍ってしまうことを是とすることに恐怖を感じる。解ける問題だけを選んで解くことにどれだけの意味があるのか。
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