学年通信に書いた小文
予定されていた記事の後の余白に「フリー(自由な)ソフトウェア」という文章を書いてみた。記名はしてないのだけど,生徒には誰が書いたか丸わかりだろう。
2学期の情報の授業ではプログラムを作っています。見て回っていると,表示に使う「合格」「不合格」という文字列を「俺様天才!」「追試だ…orz」とかに書き換えている人を何人も見かけます(中には,簡単な占いのプログラムを作っている人もいました)。これはほんのたわいない遊びですが,実はプログラムそのものが手元にあることから得られる「自由」の活用でもあるのです。
どんなソフトウェアもソースコード(授業で書いているような,プログラミング言語を使った手順書)からできているのですが,ほとんどの市販プログラムではそのソースコードを入手することはできないので,修正することはほとんど不可能です。
一方,インターネットの基盤を支えてきたソフトウェアの多くはソースコードが公開されています(フリーソフトウェア,オープンソースソフトウェア)。それを多くのハッカーたちが改良や修正を加えて進化させてきたのです。筆者も自作プログラムに対して修正案を送ってもらったことや,逆に送ったことが何度かあります。こんなやりとりを通して,プログラムやプログラマが成長していくという「文化」がインターネットにはあるのです。学習開発研究所の三輪吉和氏が「オープンソースの本当の良さは『論よりリスト』と言われるようにもっとも基本となる情報を公開した上で,過去の履歴,失敗,成功を包み隠さず議論できる点にある」(吉田智子著「オープンソースの逆襲」からの引用)と言っているように,隠し事をしない文化によって得ている自由は厳しさを含む一方,きわめて透明かつ爽快なものです。Web2.0が期待している「集合知」は,このような自由を前提として成り立つものであるはずです。
27日の午後に,フリーソフトウェアに関する活動で有名なg新部裕氏,Richard M. Stallman氏の講演が予定されていますので,興味ある人はその「自由」の雰囲気に触れてみるとおもしろいでしょう。
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