「遊ぶ」が勝ち
『「遊ぶ」が勝ち』(為末大著,中公新書ラクレ)が面白かった。前回東京に行ったときにタイトルに惹かれて買って,十数ページ読んだところでまた本屋を探して『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ著,中公文庫)を買った(現時点では未読)。
昨日の投稿に関連するが,私は試験勉強というものがよくわからなかった。勉強するのは自分の力を増すことであって,試験の点数はそれに付随する他者の評価に過ぎないと思っていたから,その評価のための対策をすることのメリットがわからなかったのだ。正直にいえば,今でもわからない。自分にとって,勉強は「遊び」だった。ギターを弾くことが遊びだったように。
日本では「真剣なら楽しんでいられないはずだ」「背負っているものを考えれば以下同文」「応援してくれる人の思いに応えるには以下同文」というようなことが言われることがある。フィギュアスケートの安藤美姫選手が出産されたときにも変なバッシングがあって辟易した。
しかしギリギリのところで力を出すことは,どうしようもなく楽しいことだ。私だってプログラムやデータ,システムをいじりながら,トラブルや新しい要求によるプレッシャーがかかるとき,責任を感じると同時に,その状況にコミットできることを楽しんでもいる。真剣だから楽しいのだ。
そう考えると,今の私の余裕のなさはちょっと考えものだな。全然楽しめていないぞ。
ところで,私の考えている「きちんとすること」が生徒の考えているそれとかなり離れているような気がしているのだが,このことについてはまだ考えがまとまらない。私だって,つまらなくするための「きちんと」は好きではない。楽しくやるための「きちんと」しか考えたくないんだ。
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