不定期戯言

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2013.03.13 (Wed)

評価がへた

・学校でテストの点で成績つけてる方がいうのもなんだけど,日本のいろんな問題の根に「評価する能力がない」があるような気がしてならない。能力を評価できないから,「客観」テストの結果をありがたく押し頂くみたいなところがあるように思う。そのためにテストは公平でなくてはいけないという縛りをどんどん重ねていって,「対策」がしやすいテストになってしまう。そうなるとややもすると「対策」をすることが能力を増すことであるかのように錯覚してしまうし,「対策」から外れたテストをすると文句を言うようになる。ああ,つまらない。

・もちろんそんな競争でも勝った方がいろいろ有利なんだから,生徒たちが勝てるようにいろんな「対策」をすることは否定しないけど,勝ったあと何をするかが見えてないと虚しい。

コメント(4)

わたやん wrote at 2013-03-14 10:04:

なんというか,主観をつよく禁じてるみたいな感じがするんですよ。客観を大事にすることは主観を無視することである,みたいに。

だきわ wrote at 2013-03-14 16:23:

カリキュラム議論の時もカリキュラムを改訂するときも、「感覚」が支配しますよね。評価軸を立てるとかあればどれだけ楽かと思う。
評価軸が曖昧なので、それを利用していろいろやる人はどこにでもいるよねえ。

わたやん wrote at 2013-03-18 10:29:

感覚が支配すると,結局声の大きい人が…ってことになっちゃうのが気持ち悪いです。

だきわ wrote at 2013-03-18 14:03:

そうそう、声が大きい方が勝つのはいかんのですよ。声の大きいので決まるのは「よりましな選択」ができないですから。

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