危険学のすすめ
落伍弟子さんが「読め」と言うので「危険学のすすめ」(畑村洋太郎著,講談社,ISBN 4-06-213529-9)をアマゾンで注文してみる。
こないだから「日本を滅ぼす教育論議」(岡本薫著,講談社現代新書,ISBN 4-06-149826-6)を再読しているのだが,第二章の前半にこんなことが書かれている:
現状が理想状態でないのは,何らかの「原因」があるからだ。したがって,まず現状に問題をもたらしている原因を「特定」し,次にそれを「除去」する必要があるが,日本では,そうした発想が欠落していることが多い。
(中略)ノルウェーではいじめと総称される事態が発生したとき,友達にやさしくないといった「モラル」の問題で起こったのか,極端な場合は犯罪に該当する「ルール違反」として起こったのか,あるいは意志の対応が必要な「精神病理学」的な問題として起こったのかといった観点から「原因」の究明がなされるという。その原因に応じて,必要・適切な対応がなされるのだ。これに対して日本では,原因を徹底的に究明するということをせず,どんな場合でも,校長先生が朝礼で「友達の大切さ」や「命の大切さ」などについての精神的な訓話をするだけ(以下略)
これは私も普段から苛立ちを感じていることだ。特に最近の子供たちは,集会や教室で全体に向けて話されたことを,自分に関することだとは意識しない傾向にある。だとしたら校長先生のお話は単なるマスターベーションに終わってしまう。大事なのは今後のためにどういった対策をするか(あるいはしないか)であり,事件に対する分析はその材料として行なわれなくてはいけない(犯人探しはその結果であって目的ではない)。
蛇足:アマゾンでこれらの本のレビューを見ていたら「縦に書け!−横書きが日本人を壊している」(石川九楊著,祥伝社,ISBN 4396440057)という本が目に入った。なんとなくトンデモな雰囲気を感じるのだが…ていうかそれ以前の話として,横書きの教育を国語でやらないことがひとつの問題だと思う。ずっと縦書き文化の中にいた人の中には横書きを忌避する人がいる。何年か前に退職された先輩は僕は横書きの本は信用しない
と言っていたし(逆に,私は理・工関係で縦書きの本は読みたくない。ブルーバックスにもときどきそういうのがあって読みにくい)。しかし文学や法律方面以外では横書きが普通であり(役所関係の書類も基本的に横書きだ),我々は横書きについて何の訓練もしないまま,それを行なっているのだ(だからときどき句読点でもめる)。その点を改めようともせずに,現状の我流だらけの横書き文化を批判するのはどうかと思う。
もちろん日本語の文字が縦書きを前提としたものであり云々…といったことに異存はない。
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