ここんとこ「フューチャリスト宣言」(梅田望夫・茂木健一郎著,筑摩書房,ISBN 978-4-480-06361-8)と「脳の中の人生」(茂木健一郎著,中央公論新社,ISBN 4-12-150200-0)を読んでいる。これを読んでようやく,茂木氏が「アハ」の人であり「プロフェッショナル/仕事の流儀」の司会であるということに気がついた。梅田氏と茂木氏のポジティブさには恐れ入った。特に,茂木氏はすごくラジカルだ。「偶有性の受容」は重要なキーワードだと思う。
面白かったのは,日本の入試は談合だという話。試験範囲をがっちり決めてしまってそこから逸脱することは一切許さない,人工的な競争・競技だというのだ。笑ってしまうほど同感だ。なぜ笑ってしまうかというと,私自身がその「競技」をうまくやれるよう努力してきたし,それを指導してきたから。しかし今「情報」の授業を担当するようになってそれが変わってきた。なぜなら「情報」にはまだ競技とよべるだけのルールができていないからだ。その中で少しでもいいものを生徒に与えたいし,そもそも何が「いい」なのかについても考えている。そういったことで悩むことが,今の自分には非常に楽しい。
また,学歴が自慢になるのはそれを手にする者が少ないからであり,その希少価値は大学の物理的リソースの制限に起因する。しかしそれに相当する知的スキルを誰もが入手できるようになったら,学歴は自慢にならなくなる。そのときアピールできるのは「自分は何を学んだ」「何に所属している」ではなく,「自分は何をした」「これから何をする」だと。実は昨日ある研究会で愛知教育大学の江島徹郎准教授に講演をしていただいたのだが,そこで江島氏が語ったバーチャル大学やe-ラーニングの話ともつながっているのだった。
科学の醍醐味は「わからないこと」にあるはずなのに,学校もテレビも「わかったこと」を「わかりやすく」伝える努力ばかりをしている。実はそのことが子供の好奇心を削いでしまって「理科離れ」につながっているのではないかとの指摘にもなるほどと思う。
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