不定期戯言

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2006.10.31 (Tue)

小山田いく

・昨日の手術後の経過をお医者さんに見てもらった後で本屋に寄ったら,小山田いくの「すくらっぷ・ブック」があったのでつい買ってしまった。2300円が3冊か…「きまぐれ乗車券」も買ったからなあ。自分が晴ボンたちと同い年ということもあってリアルタイムで読んでいた思い入れの強い作品なのだが,あらためて読んでみると自分の芸風に影響与えてたんだなあと感心する。12月に出る最終巻が楽しみだ。

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2006.10.28 (Sat)

3001年終局への旅

・待ち時間の間に少しだけ読み進めたのだが,面白い記述に出会った。

ほどなく彼はこうしたインスタント知識の小板のこぢんまりしたライブラリーを持つようになった。一枚一枚にカレッジの学位ひとつ分に相当する教材がそっくり収まっている。その一枚をブレインボックスにさしこみ,彼に具合のいい速度と濃度に合わせると,光がきらめき,あとは意識がなくなり,その状態が一時間ほどつづく。目覚めたときには,もう心の中に新しい領域が開かれているのだ。といっても,当の知識を探すと,それがあることがわかるだけなのだが…。アーサー・C・クラーク著『3001年終局への旅』第10章「イカロス賛歌」

31世紀の技術をもってしても,蓄えた知識を組み合わせて新しい発想を生み出すことは自動化されていないというのだ。発想法はやはり人間が頭を使ってやるしかないのだろう。

他にも,狂牛病をネタにしてる記述があってびっくりした。これって1996年の作品なのに。

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2006.09.14 (Thu)

ザ・マインドマップ

・職場の図書館に「ザ・マインドマップ」(トニー・ブザン,バリー・ブザン共著,ダイヤモンド社,ISBN 4-478-76099-3)を入れてもらってだいぶ経つ。生徒は利用してくれてるかなと気になっていたのだが,結構頻繁に借り出されていると司書の方に聞かされた。進路についての考えをまとめるのに使っている生徒や,図書館で描いている生徒もいるらしい。こういう話を聞くと推薦した側としては嬉しい。

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2006.08.31 (Thu)

情報理論の基礎

・SSSの会場で買った「情報理論の基礎」(横尾英俊著,共立出版,ISBN 4-320-12106-6)を読み…始めようと思ったけど今日はもう遅いからまた後日。いまごろになってこんな本読むのかとか思われそうな気がしないでもないけど,実際こういう基本の部分が断片的にしかわかってないのが自分でも不満なので。

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2006.08.19 (Sat)

「子どもは判ってくれない」を読みつつ

・仕事中に待ち時間がけっこうあったので少し読み進めてみた。印象に残った考えをいくつか書き並べてみる。

  • 論理力があるというのは,手慣れた道具からその場に合った道具への持ち替えができること。
  • あるものの存在を認めることとそれを是とすることは違うのに,それが混同されがち。
  • エライ人は,物事を単純な原則でとらえようとしすぎる。
  • 現実が複雑であれば,話も複雑にするのが道理。
  • 結論を出すことと,正解を出すことは同じではない。

犯罪の存在を認めることは,それを是とするということではない。誰も犯罪は望まないけどそれはゼロではなく,そういった「不愉快」との共存を認めざるをえない…みたいな話とか。

日本には低リスクを許さない,すなわちリスクはゼロでなくてはいけないという風潮が強くある。リスク対策にはリスクの存在を認めることが必要なのに,「リスクの存在を認める」=「リスクを許容する」=「リスク発生を仕方ないとあきらめている」と読みかえてヒステリックに騒ぎ,結果として対策への道を封じていることさえあるように思う。教育分野は特にその傾向が強いような気もする。

・関係ない話だが,著者名の「樹」を「たつる」と読むとは思わなかったし,「たつる」で変換できるとも思っていなかった。失礼しました(実は本屋で検索できなくて困ったのだった。なぜか「こどもは…」で書名検索して出てこなかったし,「うちだ」で著者名検索すると大量に出てくるし)。

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2006.08.17 (Thu)

子どもは判ってくれない

・東大の中原淳氏がブログに書いていた紹介に興味をひかれたので,早速本屋で買ってきた。「子どもは判ってくれない」(内田樹著,文春文庫,ISBN 4-16-767991-4)。まだ「たいへんに長いまえがき」しか読んでないが,まいったなぁと言わざるを得ない。自分は自分なりにものを考えてきたつもりでいたのだけど,気づかないようにしていた甘い部分をずばっと言い当てられた気がする。でもそれがなんだか痛快にさえ思える。

・勢いで一緒に「失敗学のすすめ」(畑村洋太郎著,講談社文庫,ISBN 4-06-274759-6)と「決定版 失敗学の法則」(畑村洋太郎著,文春文庫,ISBN 4-16-770001-8)を買ってしまったので,財布に300円しか残っていない。しょぼん。明日のお昼どうしよう。

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2006.08.15 (Tue)

漫画ナツ100

・という企画があったらしい。もう間に合わないけど勝手に自分は自分でやってみよう…と思ったが,なかなか厳しい。娘と競いつつ,一応やってみた。54で精一杯(一作家一作品という制限つき)。

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2006.08.13 (Sun)

「失敗をゼロにする」のウソ

・細切れで読んだので基本的なところしか頭に残っていない。もう一度読み返す必要がありそうだ。

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2006.08.06 (Sun)

買ったり届いたり

・朝,買いものにでたついでに「ああ言えばこう食う」(阿川佐和子・檀ふみ著,集英社文庫,ISBN 4-08-747331-7)を買ってさっそく読了。「〜こう行く」の方はだいぶ前に読んだのだが,「〜食う」の方が先だったのね。最後に五木寛之氏を交えた鼎談が収録されているのだが,この「鼎談」という言葉が3人での会話を指すことを平成教育予備校で知った。

・アマゾンに注文していた「危険学のすすめ」(畑村洋太郎著,講談社,ISBN 4-06-213529-9)と「『失敗をゼロにする』のウソ」(飯野謙次著,ソフトバンク新書,ISBN 4-7973-3360-X)が届いた。畑村氏は「失敗学のすすめ」の著者だったのか…危険学は失敗学の次にくるものという話のようなので,まずは「失敗を〜」から読むことにしよう。

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2006.08.04 (Fri)

危険学のすすめ

・落伍弟子さんが「読め」と言うので「危険学のすすめ」(畑村洋太郎著,講談社,ISBN 4-06-213529-9)をアマゾンで注文してみる。

・こないだから「日本を滅ぼす教育論議」(岡本薫著,講談社現代新書,ISBN 4-06-149826-6)を再読しているのだが,第二章の前半にこんなことが書かれている:

現状が理想状態でないのは,何らかの「原因」があるからだ。したがって,まず現状に問題をもたらしている原因を「特定」し,次にそれを「除去」する必要があるが,日本では,そうした発想が欠落していることが多い。
(中略)ノルウェーではいじめと総称される事態が発生したとき,友達にやさしくないといった「モラル」の問題で起こったのか,極端な場合は犯罪に該当する「ルール違反」として起こったのか,あるいは意志の対応が必要な「精神病理学」的な問題として起こったのかといった観点から「原因」の究明がなされるという。その原因に応じて,必要・適切な対応がなされるのだ。これに対して日本では,原因を徹底的に究明するということをせず,どんな場合でも,校長先生が朝礼で「友達の大切さ」や「命の大切さ」などについての精神的な訓話をするだけ(以下略)

これは私も普段から苛立ちを感じていることだ。特に最近の子供たちは,集会や教室で全体に向けて話されたことを,自分に関することだとは意識しない傾向にある。だとしたら校長先生のお話は単なるマスターベーションに終わってしまう。大事なのは今後のためにどういった対策をするか(あるいはしないか)であり,事件に対する分析はその材料として行なわれなくてはいけない(犯人探しはその結果であって目的ではない)。

・蛇足:アマゾンでこれらの本のレビューを見ていたら「縦に書け!−横書きが日本人を壊している」(石川九楊著,祥伝社,ISBN 4396440057)という本が目に入った。なんとなくトンデモな雰囲気を感じるのだが…ていうかそれ以前の話として,横書きの教育を国語でやらないことがひとつの問題だと思う。ずっと縦書き文化の中にいた人の中には横書きを忌避する人がいる。何年か前に退職された先輩は僕は横書きの本は信用しないと言っていたし(逆に,私は理・工関係で縦書きの本は読みたくない。ブルーバックスにもときどきそういうのがあって読みにくい)。しかし文学や法律方面以外では横書きが普通であり(役所関係の書類も基本的に横書きだ),我々は横書きについて何の訓練もしないまま,それを行なっているのだ(だからときどき句読点でもめる)。その点を改めようともせずに,現状の我流だらけの横書き文化を批判するのはどうかと思う。

もちろん日本語の文字が縦書きを前提としたものであり云々…といったことに異存はない。

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