学年通信に書いた文章を転載してみる。
新型コロナ感染症の影響で不自由な生活が続いていることは改めて確認するまでもないことです。いろいろなことが「できなかった」のは確かですが,一連の騒動が終わったらまったく同じことをするのかというと,決してそうではないと考えています。
みなさんも自宅待機などでオンラインの授業を受けたりしたこともあったかと思います。我々教員も,たとえば学校の会議もオンラインと対面を併用して行っています。そのおかげでかなり資料のペーパーレス化が進みました。また学外の研修の多くもオンラインになりました。その結果,現地開催だけだったときよりも多くの研修に参加できています。私自身も週末に行われるものだけで今年度約30回の研修や会議,イベントに出席していて,これがすべて現地開催で交通費がかかっていたらと思うとゾッとします(結果的に出席する回数を減らすことになっていたでしょう)。
この状況が,コロナが収まったら元通りになるとは思えません。もちろん研修会の多くは現地開催ができるようになります。しかし今後もオンラインとのハイブリッド開催は求められることになるでしょう。資料のペーパーレスだって,会議が対面で行えるようになったからといって,従来のように大量の印刷を行う風にはならないでしょう。
しかしここで思うことがあります−たとえば会議を対面でやっていたときに「ペーパーレス」は不可能だったのかと。職員室で自分用のパソコンを使っていない先生は(たぶん)いませんでしたから,会議の資料をオンラインで配布することは当時でもできたはずなのです。ところが実際には会議のたびに大量の紙が印刷に費やされ,また資料をパソコンで整理する人は紙の資料をスキャナで処理していました(ほとんどの資料はパソコンで作られていたのですから,これは二度手間であるだけでなく,検索ができないという不便を生んでいました)。
たぶん人間は,困らないと大きい変革はできないのです。そういう意味で,今は困ってなければ進まなかった改革が進んでいます。学校もそうです。高校も変わっていくし,大学も変わっていきます。初めの頃は大学で対面授業がないことが致命的だと考える人もいましたが,今はオンラインでの学びをいかに充実させるかということにも目が向けられています。
今困っている私たちは,新しい生活や新しいスタイルを作っていく最先端にいるのです。将来困らない時代に「困り」を残さないために,知恵を絞るときなのだと思います。一方で進んでいるということは,その方向が間違っていないか絶えず気をつけなくてはいけないということでもあります。そういった目を持てることが教養であり,勉強とはそのためのものなのです。だからテストにパスすればいいという勉強であってはいけないのです。
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