不定期戯言

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2007.11.01 (Thu)

うつうつ

・うう,昨夜こんなに眠いんだから薬なしで眠れるだろうと判断したのがまずかったか。

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2007.10.31 (Wed)

itojun氏他界

・29日に37歳の若さでなくなられたとのこと。朝からこのニュースで持ちきりだった。せつない。

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2007.10.28 (Sun)

フリーソフトウェアと高校生

・昨夜名古屋でFSIJとSEAが共同で行なった例会「自由ソフトウェア活動、フリーソフトウェア運動、そして Happy Hacking」の打ち上げで,高校生にFLOSSの話ってどうなのみたいな話がでていたらしい。正直なところ,生徒達のソッチ方面への興味がどうなのかというのは全然掴んでいない。本稿の情報教室で利用しているソフトウェアはすべてオープンソースなものばかりなのだが,だからどうだという話をまだ生徒にはしていない。

・以前,著作権を本当に意識させるためには,生徒にクリエータとしての体験をさせるのが有効という意見を耳にしたことがある(初期の授業で「作品」を作らせることがここで生きてくる)。同じようにオープンソースのことを意識させるためには,どういった手段が有効だろうか。今はちょうどアルゴリズムの授業でプログラムを作っている。できあがったものをちょっと書き換えておもしろくするという体験はかなり多くの者が勝手にやっている。その延長にもっと広い世界があることを話したいんだが。

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UFJカードのポイント

・失効してしまう前にと,期間限定の焼酎サーバとのポイント交換をお願いしてあったのだが,商品がなくなったのでごめんねという手紙が送られてきた。ちょっとがっかり。で,もちろんポイントは戻された上でお詫びの100ポイントを追加するということなのだが,これの有効期限って大丈夫なんだろうな…。

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東京から帰還

・バスでの往復は疲れるから,今後は片道だけにしよう…。おみやげがいつもひよこではつまらないので,秋葉原名物を買って帰ることにした。ついでに静岡の黒はんぺん。
太郎の牛乳カステラ

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2007.10.27 (Sat)

文章を書くために

・先日病院の待ち時間に「原稿用紙10枚を書く力」(齋藤孝著,大和書房,ISBN 978-4-479-30073-1)を読んだ。「声に出して読みたい日本語」の著者でもあるらしい(「音読すると文章の生命力がわかる」というくだりが気になって略歴を見た)。私が自発的に文章(人に見せるものではないが)を書くようになったのは中学の頃だったろうか。だから書くことが考えることにつながるというのは自分なりに実感としてわかる。この本には心がまえっぽい話もいくらかあるが,アウトプットのための読書やメモから文章構築に至る方法などはそのまま使える話だと思う(3色ボールペンの使い方も含めて)。自分の思考を強めるために読みっ放しにすることが多かったのだが,それでは時間がもったいないというのだ。なるほど,反省。

・深夜バスを降りてからの時間を利用して「情報編集力をつける国語」(藤原和博・重松清・橋本治著,筑摩書房,ISBN 978-4-480-42371-9)を読む。この本に書かれているようなようなコミュニケーションやCritical thinkingは,「情報」を担当している人からよく聞くような気がする。最近の国語の授業ってどんな風なんだろう。

3つの要素を組み合わせて物事をとらえたり考えたりすることをすすめている。2つではダメで,3つがいいのだと。前述の「原稿…」でも3という数字にこだわっている。

第3章の古典講座(橋本)は確かにおもしろいんだが,この本の中でどういう意味があるんだろう…いや,ほんとにおもしろいので,収録されてたことは嬉しいのだけど。

・さらに時間があったので,早稲田の55号館のベンチで「明文術」(阿部圭一著,NTT出版,ISBN 4-7571-0196-1)を読み始めた。これは奥村先生のブログでみかけてずっと気になっていた本なのだが,ずいぶん寝かせてしまった。まだ半分しか読めていないが,わかりやすく,実用的だ。文章を書くための方法を意識して私が読んできた本の多くは古いものばかりだった。だから生徒にどれを薦めるかというと最初の一冊に困っていたのだが,この本をスタートにすれば解決しそうな気がする。我々がかつて読んできたような名著への案内もしているし。

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ジョーシン07

・大人の都合だとか,教える側が教えられることだとか,教える側が教えたいことだとか,そういうもので教える内容が決まってしまってる状況は困ったものだと。

・阿部圭一氏が示した「高校情報教員に望む背景知識」は,私の思っている方向とかなり近いように思われた。情報の科学的理解の文系的要素が体系化されていないといいつつ,必要と思われることを「情報の科学」と称して13項目あげていた。その中には数にまつわる事柄も多く含まれていたのですべて「文系的」のカテゴリに入れることは適当でないが,その多くは重要なわりに高校までの「理系的」分野で充分には教えられていない(私はそれに強い不満を感じる)ことだ。教科書に採用されるかといったらたぶん難しいんだろうけど,どこかで盛り込まれてくれないかと。

・終わって外に出ると,台風の影響で暴風。私の傘も骨が折れてしまったのでホテルにこっそり置き忘れてこようかとも思ったのだが,しっかり記名してあるので仕方なく持ち帰ることにした。いや,ほんとにゴミを置いていこうと思ったわけじゃないけど,秋葉原の駅前にふきだまっていた大量の傘の残骸を見るとつい。

覚書:新宿のかめや(そんな有名な店だとは知らなかった)では,天もりがおすすめだとのこと。

傘の柄秋葉原駅

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2007.10.25 (Thu)

学年通信に書いた小文

・予定されていた記事の後の余白に「フリー(自由な)ソフトウェア」という文章を書いてみた。記名はしてないのだけど,生徒には誰が書いたか丸わかりだろう。

・2学期の情報の授業ではプログラムを作っています。見て回っていると,表示に使う「合格」「不合格」という文字列を「俺様天才!」「追試だ…orz」とかに書き換えている人を何人も見かけます(中には,簡単な占いのプログラムを作っている人もいました)。これはほんのたわいない遊びですが,実はプログラムそのものが手元にあることから得られる「自由」の活用でもあるのです。

・どんなソフトウェアもソースコード(授業で書いているような,プログラミング言語を使った手順書)からできているのですが,ほとんどの市販プログラムではそのソースコードを入手することはできないので,修正することはほとんど不可能です。

・一方,インターネットの基盤を支えてきたソフトウェアの多くはソースコードが公開されています(フリーソフトウェア,オープンソースソフトウェア)。それを多くのハッカーたちが改良や修正を加えて進化させてきたのです。筆者も自作プログラムに対して修正案を送ってもらったことや,逆に送ったことが何度かあります。こんなやりとりを通して,プログラムやプログラマが成長していくという「文化」がインターネットにはあるのです。学習開発研究所の三輪吉和氏が「オープンソースの本当の良さは『論よりリスト』と言われるようにもっとも基本となる情報を公開した上で,過去の履歴,失敗,成功を包み隠さず議論できる点にある」(吉田智子著「オープンソースの逆襲」からの引用)と言っているように,隠し事をしない文化によって得ている自由は厳しさを含む一方,きわめて透明かつ爽快なものです。Web2.0が期待している「集合知」は,このような自由を前提として成り立つものであるはずです。

・27日の午後に,フリーソフトウェアに関する活動で有名なg新部裕氏,Richard M. Stallman氏の講演が予定されていますので,興味ある人はその「自由」の雰囲気に触れてみるとおもしろいでしょう。

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2007.10.22 (Mon)

赤福

・最近の報道のせいで,正しい「赤福」のイントネーションがわからなくなりつつある。なんで「か」が高いねん。「あかふ」までが低くて「く」で少し上がる,ということで妻(伊勢市民歴20年)との意見が一致。しかし,IRCでは徹底的に否定された。なんでやねん。

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2007.10.21 (Sun)

最高学府はバカだらけ

・「最高学府はバカだらけ」(石渡嶺司著,光文社新書,ISBN 978-4-334-03419-1)。帯のマンガで学生に「つーか,教授,レポートの答え,ネットにないっスよ」と言わせているのがおもしろくて気になっていたのだが,オブジェクト脳@kcgでも話題になっていたので読んでみなきゃいかんなと。前半に書かれているいろんなことがダメダメだという話はまあいいとして(あんまり目新しい話はないし),気になったのは最後にかかれている「化学反応(在学中に学生が急成長する)」だ。かなり前に金沢工大で学生の面倒を細かく見ている話を聞いて,そのときは「なんでもういい年になった大学生の面倒をそこまでみてやらなきゃいかんのだ」と思ったのだが,今はそれが必要な状況があることを認めなくてはいけないのだと。そしてそれは,あきらめていない意志の表現なのだろう。

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