不定期戯言

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2006.10.08 (Sun)

情報生産に関する小考

・職場のLibrary Express(図書館だよりみたいなもの)に寄稿した文章。

・ある教育実習生が「高校生の頃は板書をノートに取ることが授業中一番大事なことだと思っていたが,教える側になってみるとそれはほんの一部分でしかないことに気づいた」と言っていた。実は本当に大事なことは口伝されているのだが,生徒の多くはそれを記録する方法を持っていない。そのため教えられたことをオウム返しに解答することはできても,新しい問題に対するアウトプット(=情報生産)ができない。

・不思議なことだが,学校では情報生産の方法についてはほとんど学ばない。梅棹忠夫氏が著書『知的生産の技術』で「文章の教育は情報工学の観点から行なうべきであり,知的生産技術の教育のためには『情報科』という教科が作られるべきである」というようなことを述べているが,その意味の「情報科」は実現していない。だから自力でその方法を獲得するしかないのだが,自己流を編みだす前に先人たちが用いた方法も試してみてほしい。

・たとえば私は常に名刺サイズのカードを携行して,思い付きを書き貯めている。そして文章や資料を作るときには,それらを集めて『知的〜』にある「こざね法」や,大きいものなら『発想法』(川喜田二郎)の「KJ法」を用いて仕上げる。講演のメモはマインドマップ(マンガ『ドラゴン桜』で取り上げられたので知っている人も多いだろう)で取る。これについては『ザ・マインドマップ』(トニー・ブザン,バリー・ブザン)が公式本なのだが,それより『人生に奇跡を起こすノート術』の方が扱いやすいであろう。こういった方法で手を動かすことによって新しいアイディアが導かれるのは,実際にやった者にしか味わえない快感である。

・『知的〜』や『発想法』は30年以上前のものなので今となっては古い面もある。最近の良書があれば教えていただきたいし,互いに情報交換もしてほしい。しかし中には眉に唾するべきものもある。たとえば今年文庫化された『「超」発想法』(野口悠紀男)では上記したような方法を否定しているが,それは自分で改竄した「誤ったKJ法」(しかも自分でやったことがない)の問題点を論うというもので,1960年代によく見られた「誤った批判」に陥っている(同書には重要な教示も多いので,全面的に否定するものでもないが)。いくつかの方法を実際にやってみることで,やがて自分の方法を確立することができるだろう。さあ,手を動かしてみよう。

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