私たちのあせり
落伍弟子のブログの「10代のネット利用を追う」で,Internet Watchの高橋正夫氏(全国高等学校PTA連合会・会長)へのインタビュー記事が取り上げられていた。特に後編の「19歳以上は事件に遭ってもいいのか?」以降が重要だと考える。「大人の自信の無さ」のために,フィルタリングへの責任転嫁みたいな対応が発生してしまうように感じられてしまう…子供たち自身がいろいろな意味で強くなることでしか解決できないことなのに。もちろん全員が強くなれるわけではないのだから,安全策を用意すること自体は悪くないのだけれど,強くなる機会をきちんと提供せずに安全策だけを考えるのは底の抜けたバケツに水をためるようなものだ。
辰己先生のブログで「教科『情報』をよくする二つのキーワード?」の一つにあげられている「大の大人の情報リテラシ」は,現状ではあまり当てにならない。だから底上げを図る必要があると我々は考えるのだが,大抵の人は自分のわかる範囲で価値判断をする。一般の人はそのレベルで想像できる範囲で「情報リテラシ」というものの価値を判断をする。その判断結果が教科「情報」軽視にもつながっているのだろう。この悪循環をなんとかしたいとは思っているのだが,大人に新しいことを吹き込むのは難しい。
別の記事「スタートが遅れればゴールも遅れる」に
情報教育を充実させたら、すぐに判断能力が向上するとは思えませんが、もし「今から変革をはじめると、20年かかる」のならば、「今から10年後に変革を始めると、今から30年後にしか実現しない」と言えると思います。
とあるように,教育が変わっていくためにはとても時間がかかる。私も40を過ぎて,定年まであと20年しかない。その間に何ができるだろう。
コメントの受付は終了しました。