また(略)近鉄の車内で『退屈力』(齋藤孝著,文藝春秋)を読む。依田九段の『プロ棋士の思考術』のところでも書いたこととも通じるけど,この本はタイトルで誤解されそうな気がする。中を読めばわかるのだけど,タイトルと帯だけ見た人は退屈に我慢することを「退屈力」と言ってるように誤解することが可能だからだ。念のため,71ページの説明を引用する:
明らかに退屈に感じることを我慢するのが「退屈力」なのではない。傍から見れば退屈に見えるようなことの中に,当人が退屈を感じずに喜びを見出していく力,それが「退屈力」である。
例によって主張するところは私の思うところとおよそ近いが,いくつか改めて気づき直したことがある。たとえば身体的なものを信じることの重要性もそうだし,私が今まで集中してやってきたこと−たとえば数学とかMIDIの打ち込みとかプログラミングとか−にあったのは,やはり「退屈力」だったということもそうだ。
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