不定期戯言

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2011.04.02 (Sat)

操作教育というけれど

・1ヶ月前に情報処理学会の第73回全国大会に行ったときの話を書きそびれていたのだが,書かないのはもったいないので今更ではあるが書く。お目当てはイベント企画のシンポジウム「情報処理学会の皆さん,間違っていませんか?」。プログラミング教育については賛否あって,私も一つ発言しておこうと思っていたことがあったのだが流れを止めかねないのでだまっていた。そのことをここに書いておく。

・言いたかったのはこういうことだ:

ExcelやWordの操作教育が否定的に語られることは多いし,それについてはおおむね同意する。しかし,実は数学の授業はとおの昔に「操作教育」に陥っているというのに,なぜかそのことが話題にされることはない。たとえばこんなエピソードがある。

√9=3,√12=2√3というような計算は間違いなくできるし,二次方程式の解の公式も正しく使える生徒がある日「ところでこの『√』ってどんな意味の記号なんですか」と漏らした。

つまり公式や解答のテンプレートの空欄を埋めることが勉強の主な目的になっているのだ。これが操作教育でなくて何だ。私は自分で答えや正しさを確認できることが数学の楽しさだと思っているのだが,前述した生徒(に限らず多くの生徒)にとってはそうではなく,持ち合わせの答案テンプレートを組み合わせて空欄を埋めることで採点者の評価を得るものになっている。数学がその体たらくである現状で,私が生徒達に味わってほしい「楽しさ」に近いところにあるのはプログラミングくらいじゃないだろうか。だって,自分で答え合わせができることって他にあるかい?そういったことから,正しい勉強を思い起こさせることも本当は必要なはずだ。もちろん情報教育がそんなことまで面倒みる筋合いはないのかもしれないけど :-P

コメント(11)

だきわ wrote at 2011-04-03 01:38:

先日某教科書会社が主催した数学研究会で、青山先生の話には納得したけど、そのあと出てきた受験界で有名な人は、ひたすら入試に使える公式や出題傾向を話してたなあ。それと同根か??

豊後各駅停車 wrote at 2011-04-03 11:07:

ネットで何でも情報が入る中で「大まかな情報」を「ヒトの脳」に入れておくのが大事だと思うんですよね。
先日、東京都足立区北千住の「学びピア」(「放送大学・東京足立学習センター」「足立区生涯学習センター」「足立区立中央図書館」併設)の喫煙室で、足立区職員と、お話したのです。
足立区全体とすれば、むしろ「北千住」のほうが「離れ小島」。しかし、北千住が鉄道の要所なので、区の施設が北千住ばかりになるのでそうです。
「じゃあ、福島県と同じですね。福島市は『行政だけの街』。県の地理的中心・交通の要所は郡山市。」といったら、びっくりしてました。

わたやん wrote at 2011-04-03 19:22:

>だきわさん
受験のことを考えること自体は大切なことなので,その筋の人がその筋の話をすることは一向に悪くないのですが,数学が受験のためだけのものというように生徒がとらえることは断じて避けなくてはいけないと思うのです。原発の一件で,ニュースを正しく理解するには学校で習う程度の理科や統計がわからないと話にならないということがよく話題になっています。しかし思うのは,理系といって育ってきた人たちが,自分が習ったことと今起きていることをちゃんとつなげて考えているだろうかというと,必ずしもそうではないんじゃないか,ということです。それだったら理系だろうと文系だろうと,勉強ってこと自体無駄じゃん。

>豊後各駅停車さん
ときどき東京とか遠くにいくと同じようなことを感じます。ケータイのナビで目的地にたどり着くことはできるんですが,目的地が東京駅から見ておおまかにどっちなのかがわからない。だから「ちょっと時間あいたからどこか行ってみようかな」と思っても,そこから近いところに何があるのかわからなくてついつい秋葉原や神田にばかり行ってしまうのです。
細かいことはネットでいくらでも調べられる,でもそれだけだとポロポロこぼれ落ちるばかり。調べたことを受け止める網をあらかじめ作っておくことが,学校の勉強の役割なのだと考えています。だからその網をせばめないでほしい,特に「理系文系」なんていうような受験用語で。

ほった wrote at 2011-04-04 03:27:

門外漢ですが、教科書に数式や記号の「読み」(音読上)が載っていないのも同じようなことなのでしょうか。
何らかの理由でその辺を教わった授業が受けられず、後日教師が授業中に話しても意味がわからない(何言っているかわからないから質問も出来ない)ってことが何度かあって、敬遠してました。
学校指定の教材(参考書)にも載ってないしねぇ。
(私が学生当時のことだから今はそんなことは無いと思いたいけど)

だきわ wrote at 2011-04-04 07:35:

> 自分が習ったことと今起きていることをちゃんとつなげて考えている

うちの人たち(大人も子どもも)は考えてないなあ。

わたやん wrote at 2011-04-04 08:32:

>ほったさん
そういえば先日職員室で「合成関数の『f○g』ってどう読む?」ということが話題になりました。みんな「えふまるじー」で,その根拠は自分がそう教わったから,ということでした。定積分やΣの読み方もおおむねそんな感じで,自分が教わったものを受け継いでいるようです。ホリエモンの本(だったかな?)に「20年前に習ったことを20年前の方法で教えている」とありましたが,まさにその通りだなと。学校関係業界,入試関係業界で閉じた,この業界限定の常識が作られていくのもこういった構図なのでしょう。

だきわ wrote at 2011-04-13 18:17:

日本の高校 http://www.amazon.co.jp/dp/4377107771/ という本を読んでますが、1975年ぐらいの日本の高校と今の日本の高校が殆ど変わっていないことに愕然としました。
「不易と流行」とは言いますが、「不易9割9分、流行1分」という感じですわw。

わたやん wrote at 2011-04-14 09:26:

学校でいい成績を得ることと,その外で通用する能力を身につけることが,同じ方向になればいいんですけどね。1975年なんてある意味では大昔で,求められる能力やつけられる能力,価値観なんかいろいろ変わってしまっているのに。

わたやん wrote at 2011-04-14 09:30:

で,「不易」だと(多数の人が)思ってることも見直してほしいなあ,というのがほり先生のブログへのコメントだったり。
http://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/e/6fd985292947723bd4c45b3d9ca18a71

豊後各駅停車 wrote at 2011-04-16 20:08:

わたしの住んでいる所は、最寄駅が「大島(おおじま・都営地下鉄新宿線)」と出ますが、実際には「東大島」が「旧・中川(なかがわ)」をまたぐので、(トンネルを深くするより工費が安かった。)小松川口(江戸川区)・江東口と分かりやすいのです。「地上」「改札」「ホーム」とエレベータ2回で確実に乗り降りできるのです。
しかも、東日本大震災のため、京王相模原線直通の都営新宿線「急行」運転中止(「大島」停車・「東大島」通過)のため、もっぱら「東大島」を使っています。
これ以上は「諸般の事情」で書けません。

豊後各駅停車 wrote at 2011-05-01 01:08:

「遊び」とか、「余裕」とか大事だと思うんですね。
「浪人」も「留年」も許されず、22歳で社会人に「ならなければならない。」
「頭のいい子」は教師に「おべんちゃら」をするのが耐えられなくて、自ら命を絶つ。杉本治「マー先のばか」・尾山奈々「花を飾ってくださるのなら」・島田清子「みぞれは舞わない」、そして高野悦子「二十歳の原点」なのです。
私は、何とか39まで生きてきましたけど。

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