不定期戯言

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2011.04.29 (Fri)

マインドマップのためのイラスト講座

・名古屋マインドマップ普及会主催で表題の講座が行なわれた。講師はさをん屋のやまもとさをんさん。さて,始まってみると,話されることがとても明晰。どういうことに目をつけて,どういうことを考えて,それをどう表したらいいか,という流れがはっきり示されていて,迷うことなくワークを楽しむことができた。私は決して絵が上手ではない(出かける前に1分イラストの本の摸写をしていたら,妻から「あなたが描いているのは絵というよりも図だ」と言われた)のだが,図なら描ける。かわいい絵やいわゆる萌え絵なんてとても描けるとは思わないが,かわいげのある図なら描ける,それがマインドマップを描く上では役に立つ,そういう実感が得られたのが大きい収穫だった。実際,最後に描いたマップでは普段言葉で書いてしまう枝にいくつかのイラスト(図といわれれば図だが)を「自然に」描くことができた。

・参加者の多くが「マインドマップ超活用術」をすでにダウンロード済みだったというのは驚き。

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2011.04.27 (Wed)

堀江貴文氏,実刑ほぼ確定

・というニュースが昨日あった。実のところ彼のやったことが何でどういけなかったのかとかまったくわからないので,この決定の是非についてはコメントできない。しかし彼が語ることや書くことには興味をひかれることが多いので,2年余りの間,表に出てこられないのは残念だとは思う。ニコニコ動画で中継していたインタビューでもこんなことを言っていた(記憶に頼って書いてるので間違ってるかもしれない):

自分は他の人よりも情報をたくさんインプットしているから,他の人よりも将来のことがよく見える。そこで見えたことを実行しようとするのだが,他の人にはそれが見えていない。そのため「堀江は怖い」「堀江は危ない」という印象を持たれてしまった。もっと説明を重ねる責任が,自分にはあったのだろう。

レベルには雲泥の差があるが,同じような責任は私も負っているのだろう。職場でも私はわりと新しいことに取り組む機会を与えられている。だからそのためのインプットをしていない人よりは,新しいものが見えているつもりだ。だとしたら,見えてない人に説明して,落とし所を探すのも私の役割だ。見えている人には見えてない人にはない視点があるのと同じように,見えてない人には見えている人にはない視点があるのだから。

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豊後各駅停車 wrote at 2011-04-28 16:17:

足利事件の菅谷さんは「無罪が確定」したのに、「狭山事件」は・・・(石川一雄さんは「無期懲役の仮釈放中」です。)

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2011.04.18 (Mon)

名古屋Geek Bar

・前回は初回ということで混雑が予想されていたのでパスして,今日行ってみた。まったり。ノートパソコンを出してずっとプログラムを書いていた。その間に何人かと話をしたが,基本的にここに来る人は何らかの開発者だということですっと話に入れる。「チームでC++での開発なんて,よほどの覚悟がないとできないだろ」と意見が一致して面白かったり。

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豊後各駅停車 wrote at 2011-04-27 15:48:

よく分からないけど、「わたやん」さんが好きです。
私は、ちょうど20年前、「朋鷹寮(ほうようりょう)」に住めば、住所が「東京都港区」、衆議院が「東京1区」というだけの理由で、東京水産大学(現・東京海洋大学)に出願し、まぐれで合格しました。

わたやん wrote at 2011-04-27 16:15:

私は大学から名古屋で,割と最近になってから東京に出かけることが増えましたが,もっと早くから東京に行っていたらいろいろ違うこともあったんじゃないかなあという気がします。今の生活に特に不満はありませんが。

豊後各駅停車 wrote at 2011-04-28 16:11:

名古屋の思い出ですか。
大阪から「名阪」で行きましたね。「普通免許」なのに、いすゞ・ジャーニー・図書館車で(ホントに「下手マーク」つけて)
名古屋大学の「学生・トヨタ車」が印象的でした。「息子・娘が旧・帝大に受かったから、買ってやろう。」そして、大学が4輪車・通学を許可しちゃうんですね。
でも、「金谷川」駅・東口の農地を、福島大学が買収したのに、駅名は「金谷川」の「まま」と言うのが好きなんです。隣は「松川」です。

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2011.04.14 (Thu)

IS03アップデート

・IS03のOSがAndroid2.2にアップデートされるということで,早速導入。Windowsがないとできないというのが気に入らないが,まあ仕方ない。かなり動作がきびきびしたように思われる。ほかのことはまだわからないな。事前にバックアップをとってはおいたが,アプリやデータはそのまま引き継がれた様子。

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2011.04.11 (Mon)

NFSと格闘

・今日から授業。情報教室のクライアントをsqueezeにしたわけだが,なんだかやたらと起動が重い。1日終わってから調べてみたら,NFSでマウントしてる/のrsizeやwsizeが500K。なんか2桁くらい違ってないかと思って設定を探して…探して…ようやくpxelinux.cfg/defaultに行き着いた。何度か試行錯誤して8192あたりで明日は試してみることにする。そんなわけで朝よりも体重が1.2kg減った。

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だきわ wrote at 2011-04-13 18:11:

どんだけ小さいねん!
それで痩せられるってすごい。

わたやん wrote at 2011-04-13 19:01:

16384と8192で試して,16384の方がよさげだったのでそっちを採用中です。体重はまた戻ります。上下の幅が大きい。

わたやん wrote at 2011-04-14 09:18:

あ,いや,違う。8192にしたんだった。16384だとkdmが上がってこないマシンが数台あったので。

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2011.04.09 (Sat)

やんざむUI祭り

・正しくは「Android Layout 勉強会@蒲郡」か。行きの電車の中ではずっと『Android Layout Cookbook』(あんざいゆき著,インプレス)を,アンダーライン引きながら読んでいた。あんざいさんは今日の講師,勉強会直前にサインをいただいた。

・勉強会はハンズアウト形式。Javaのコードは一切いじらず,リソースに手を入れる。色の即値には名前をつけてしまって,それ以降はすべてその名前で呼び出すという方針を一貫する。これはいい。配色の差し替えは最初の即値部分だけやればいいだけだ。kuler(AndroidのColor palというアプリも紹介された)のことも含めて,Webサイトの色デザインにも活かしたいと思うのだが,CSSで同じことをするのは無理っぽい気がするな。

ボタンのカスタマイズからは指定項目が膨大なのでさすがにコピペに頼った。資料にテストしている端末のデフォルトテーマがあっているからといってそこだけカスタマイズしないと,別の端末になったときに世界観がくずれてしまいますとあって,「世界観とは大げさではないか」と最初は思ったのだが,カスタマイズが進んでくると,なるほど,確かに統一されてない部分に違和感を持ってしまう。そんなわけでこの部分は消化不良ではあるのだが,参考資料としてあげてあるthemes.xmlstyles.xmlを見ればいいということだ。今回の勉強会は,この資料を使うことへの橋渡しとも言えるのだろう。おかげでこのxmlや,前述の本を読むことへのハードルがだいぶ低くなったように思われる。

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豊後各駅停車 wrote at 2011-04-19 02:22:

蒲郡って愛知県ですよね。「JR東海」の東海道線ですよね。海部俊樹・元首相の「旧・愛知3区」だったか。

わたやん wrote at 2011-04-19 17:35:

愛知県の右の方です。あんまり行ったことがない(たぶんこれが2回めくらい)ので,競艇場があるらしいとかそのくらいしかわかってません。

豊後各駅停車 wrote at 2011-04-24 22:46:

大分市長、現職・釘宮ばん(民主党系)当選、NHK大分によると「大分市長は35年間『非自民系』(佐藤益美・ますみ・男性・社会党系が安藤玉彦・市長を破る)」だそうです。小選挙区・大分1区も自民党が買った事が、ありません。
閑話休題、旧・愛知5区(3人)豊橋・豊川・蒲郡・新城(しんしろ)市、南北・設楽(したら)・渥美・宝飯郡。基本「自民2・社会1」ですね。

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2011.04.02 (Sat)

操作教育というけれど

・1ヶ月前に情報処理学会の第73回全国大会に行ったときの話を書きそびれていたのだが,書かないのはもったいないので今更ではあるが書く。お目当てはイベント企画のシンポジウム「情報処理学会の皆さん,間違っていませんか?」。プログラミング教育については賛否あって,私も一つ発言しておこうと思っていたことがあったのだが流れを止めかねないのでだまっていた。そのことをここに書いておく。

・言いたかったのはこういうことだ:

ExcelやWordの操作教育が否定的に語られることは多いし,それについてはおおむね同意する。しかし,実は数学の授業はとおの昔に「操作教育」に陥っているというのに,なぜかそのことが話題にされることはない。たとえばこんなエピソードがある。

√9=3,√12=2√3というような計算は間違いなくできるし,二次方程式の解の公式も正しく使える生徒がある日「ところでこの『√』ってどんな意味の記号なんですか」と漏らした。

つまり公式や解答のテンプレートの空欄を埋めることが勉強の主な目的になっているのだ。これが操作教育でなくて何だ。私は自分で答えや正しさを確認できることが数学の楽しさだと思っているのだが,前述した生徒(に限らず多くの生徒)にとってはそうではなく,持ち合わせの答案テンプレートを組み合わせて空欄を埋めることで採点者の評価を得るものになっている。数学がその体たらくである現状で,私が生徒達に味わってほしい「楽しさ」に近いところにあるのはプログラミングくらいじゃないだろうか。だって,自分で答え合わせができることって他にあるかい?そういったことから,正しい勉強を思い起こさせることも本当は必要なはずだ。もちろん情報教育がそんなことまで面倒みる筋合いはないのかもしれないけど :-P

コメント(11)

だきわ wrote at 2011-04-03 01:38:

先日某教科書会社が主催した数学研究会で、青山先生の話には納得したけど、そのあと出てきた受験界で有名な人は、ひたすら入試に使える公式や出題傾向を話してたなあ。それと同根か??

豊後各駅停車 wrote at 2011-04-03 11:07:

ネットで何でも情報が入る中で「大まかな情報」を「ヒトの脳」に入れておくのが大事だと思うんですよね。
先日、東京都足立区北千住の「学びピア」(「放送大学・東京足立学習センター」「足立区生涯学習センター」「足立区立中央図書館」併設)の喫煙室で、足立区職員と、お話したのです。
足立区全体とすれば、むしろ「北千住」のほうが「離れ小島」。しかし、北千住が鉄道の要所なので、区の施設が北千住ばかりになるのでそうです。
「じゃあ、福島県と同じですね。福島市は『行政だけの街』。県の地理的中心・交通の要所は郡山市。」といったら、びっくりしてました。

わたやん wrote at 2011-04-03 19:22:

>だきわさん
受験のことを考えること自体は大切なことなので,その筋の人がその筋の話をすることは一向に悪くないのですが,数学が受験のためだけのものというように生徒がとらえることは断じて避けなくてはいけないと思うのです。原発の一件で,ニュースを正しく理解するには学校で習う程度の理科や統計がわからないと話にならないということがよく話題になっています。しかし思うのは,理系といって育ってきた人たちが,自分が習ったことと今起きていることをちゃんとつなげて考えているだろうかというと,必ずしもそうではないんじゃないか,ということです。それだったら理系だろうと文系だろうと,勉強ってこと自体無駄じゃん。

>豊後各駅停車さん
ときどき東京とか遠くにいくと同じようなことを感じます。ケータイのナビで目的地にたどり着くことはできるんですが,目的地が東京駅から見ておおまかにどっちなのかがわからない。だから「ちょっと時間あいたからどこか行ってみようかな」と思っても,そこから近いところに何があるのかわからなくてついつい秋葉原や神田にばかり行ってしまうのです。
細かいことはネットでいくらでも調べられる,でもそれだけだとポロポロこぼれ落ちるばかり。調べたことを受け止める網をあらかじめ作っておくことが,学校の勉強の役割なのだと考えています。だからその網をせばめないでほしい,特に「理系文系」なんていうような受験用語で。

ほった wrote at 2011-04-04 03:27:

門外漢ですが、教科書に数式や記号の「読み」(音読上)が載っていないのも同じようなことなのでしょうか。
何らかの理由でその辺を教わった授業が受けられず、後日教師が授業中に話しても意味がわからない(何言っているかわからないから質問も出来ない)ってことが何度かあって、敬遠してました。
学校指定の教材(参考書)にも載ってないしねぇ。
(私が学生当時のことだから今はそんなことは無いと思いたいけど)

だきわ wrote at 2011-04-04 07:35:

> 自分が習ったことと今起きていることをちゃんとつなげて考えている

うちの人たち(大人も子どもも)は考えてないなあ。

わたやん wrote at 2011-04-04 08:32:

>ほったさん
そういえば先日職員室で「合成関数の『f○g』ってどう読む?」ということが話題になりました。みんな「えふまるじー」で,その根拠は自分がそう教わったから,ということでした。定積分やΣの読み方もおおむねそんな感じで,自分が教わったものを受け継いでいるようです。ホリエモンの本(だったかな?)に「20年前に習ったことを20年前の方法で教えている」とありましたが,まさにその通りだなと。学校関係業界,入試関係業界で閉じた,この業界限定の常識が作られていくのもこういった構図なのでしょう。

だきわ wrote at 2011-04-13 18:17:

日本の高校 http://www.amazon.co.jp/dp/4377107771/ という本を読んでますが、1975年ぐらいの日本の高校と今の日本の高校が殆ど変わっていないことに愕然としました。
「不易と流行」とは言いますが、「不易9割9分、流行1分」という感じですわw。

わたやん wrote at 2011-04-14 09:26:

学校でいい成績を得ることと,その外で通用する能力を身につけることが,同じ方向になればいいんですけどね。1975年なんてある意味では大昔で,求められる能力やつけられる能力,価値観なんかいろいろ変わってしまっているのに。

わたやん wrote at 2011-04-14 09:30:

で,「不易」だと(多数の人が)思ってることも見直してほしいなあ,というのがほり先生のブログへのコメントだったり。
http://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/e/6fd985292947723bd4c45b3d9ca18a71

豊後各駅停車 wrote at 2011-04-16 20:08:

わたしの住んでいる所は、最寄駅が「大島(おおじま・都営地下鉄新宿線)」と出ますが、実際には「東大島」が「旧・中川(なかがわ)」をまたぐので、(トンネルを深くするより工費が安かった。)小松川口(江戸川区)・江東口と分かりやすいのです。「地上」「改札」「ホーム」とエレベータ2回で確実に乗り降りできるのです。
しかも、東日本大震災のため、京王相模原線直通の都営新宿線「急行」運転中止(「大島」停車・「東大島」通過)のため、もっぱら「東大島」を使っています。
これ以上は「諸般の事情」で書けません。

豊後各駅停車 wrote at 2011-05-01 01:08:

「遊び」とか、「余裕」とか大事だと思うんですね。
「浪人」も「留年」も許されず、22歳で社会人に「ならなければならない。」
「頭のいい子」は教師に「おべんちゃら」をするのが耐えられなくて、自ら命を絶つ。杉本治「マー先のばか」・尾山奈々「花を飾ってくださるのなら」・島田清子「みぞれは舞わない」、そして高野悦子「二十歳の原点」なのです。
私は、何とか39まで生きてきましたけど。

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